高校卒業まで過ごした札幌には、駅地下のコンコースに「テアトルポー」という150円で観られる映画館があった。国鉄と地下鉄駅の間にあるため、夜行列車の乗継ぎで待ち時間がある人たちが時間潰しのために利用していた映画館だ。大雪の日には列車が遅れて場内が満杯になる。上映される映画はロードショーからしばらく経ったムーヴオーバー作品ばかりなのだが、時々「えっ?」と思うような映画が掛かる事がある。それが『007ロシアより愛をこめて(危機一発)』だった。まるでちゃんとした名画座じゃん…と、どこから引っ張ってきたのか知る由もなく観に行った

情報誌が無い当時は、映画のスケジュールはもっぱら新聞の「映画上映欄」に頼るしかない。登校前に時間割の確認よりも新聞で映画の上映時間を確認するのが日課だった。これでは成績も上がるわけがない。だから予告もなく突然、古い映画のタイトルを見つけると、その日の授業は実に入らなかった。007の最高傑作と評価も高い本作だが、私が期待するほど札幌市民はテレビで放映され尽くしていた昔のスパイ映画にはさほど興味を示さなかった。おかげでガランとした場内でショーン・コネリーのカッコよさをじっくり堪能する事ができた。

タイトルがイイ。公開当時は日本でまだスパイ映画というジャンルが確立されていなかった(日本映画ではスパイは悪役だった)から、アクションである事を訴求するため『危機一発』と付けられていたが、リバイバルから改題された『ロシアより愛をこめて』の方が断然良い。シリーズ10作目の『私が愛したスパイ』のタイトルも内容はともかく好きである。ちなみに正しくは「危機一髪」なのだが、拳銃の弾をイメージさせるため「一発」と当字をしたのは有名な話し。前作『007は殺しの番号』の初版パンフレットではボンドの職業はスパイでなく探偵で、次回作の仮題が「ジェームズ・ボンドの大冒険」と記載されていた。採用されていたら恐ろしい話である。

映画としては2作目だがイアン・フレミングの原作では5作目であり、実は『ドクター・ノオ』は本作の次にあたる。監督は前作同様テレンス・ヤングが務めており、予算が多くついたおかげで、前作で足りなかった部分を本作でかなり補っているのが分かる。構成もこなれており、007ならではのユーモアを活かしつつ、その延長上に見せ場を設けているのが上手い。殺しの許可証を持つスパイには手強い強敵が必要で、ボンドと直接対峙する殺し屋を束ねているスペクターという得体の知れない首領(最後まで顔を見せない)の存在が前作以上に明確化されシリーズを成功に導いた。

その殺し屋グラントをロバート・ショーが怪演する。冒頭でボンドに扮した練習台の殺し屋を腕時計に仕込んだワイヤーを使って絞殺するシーンから観客を引き込む。続いてチェスの国際大会に出場している男に運ばれてきた飲み物のコースターに書かれた出頭命令を確認すると早々に勝負を決めて会場を後にするシーンのセンスに思わずカッコいい!と唸った。強いヒーローには魅力的な強い敵が必要なのだ。中でも、ロッテ・レーニヤが演じるかつてソ連で殺人機関の局長を務めていた中年女性が、実はスペクターの幹部で、最後はホテルのメイドに化けて先端に毒ナイフを仕込んだ靴でボンドに襲い掛かり、我々に強烈な印象を残す。レーニヤは1920年代にドイツの舞台でミュージカル女優として活躍した人で、昔の写真を見たが品のある凛とした顔立ちがとても美しくて驚いた。

改めて俯瞰で見てみると、本作は1960年代における現代アクション映画のエポックメイキングであったのは間違いなく、本作で取り入れているツール類(スパイの小道具を忍ばせたアタッシュケースは何度観ても面白い)の使い方は、以降のアクション映画の基礎となった。1950年代後半までアクション映画といえば西部劇がその役割を担っていたが、ジョン・フォードからジョン・スタージェスに世代交代した1960年代が、アクション映画という新しいジャンルの創世記であり、そこに大きく貢献したのが007であり、その流れに上手く乗ったのが『007危機一発』だった以降、デズモンド・ルウェリン演じるQが開発した秘密兵器をボンドに説明してボンドがそれを茶化す…というのがシリーズの売り物となる。ただ回を追うごとに兵器が荒唐無稽となってしまい、カッコいいというより、Qが説明するシーンでは場内から失笑が起こるようになってしまったが、それもまたご愛嬌。それが『ノー・タイム・トゥ・ダイ』まで本流を守り続けてきたのは、凄い!としか言いようがない。