私よりも年代が上の方は、ジョン・スタージェス監督と言えば、西部劇を挙げる人が多いと思う。『OK牧場の決闘斗』や『ゴーストタウンの決闘』など西部の町を舞台に正義と悪の闘いを描いた爽快を絵に描いたようなアクション西部劇を作らせたら右に出る者はいなかった。それについては異論はないのだが、私が好きなスタージェス監督の映画を挙げるなら、なんと言っても西部劇ではなく『大脱走』である。

それまで発表してきたスタージェス監督の作風に新しい風を吹き込んだのは、1960年の『荒野の七人』からで、七人のガンマンたちがメキシコの小さな村を軍隊化された盗賊集団から守る…個人でもない、騎兵隊でもない、新しいタイプのプロフェッショナル集団の西部劇だった。その映画に出演していた当時はまだ出立ての俳優たちが、再び脱走のプロフェッショナルとしてドイツ軍の捕虜収容所から脱走計画を立てる将校を演じる。『荒野の七人』で強い印象を残したスティーブ・マックイーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーンを再び召集してオールスターキャストで作り上げた戦争シーンの無い戦争映画が何とも新鮮だった。

エルマー・バーンスタインのテーマ曲と共に、捕虜を乗せたトラックが映し出され、黄色い文字で大きくタイトルが表示される冒頭から観客の気分を昂揚させる。トラックが収容所に到着すると、荷台から厳つい捕虜の男たちがバラバラと降りてくる。ここに集められたのは、あちこちの収容所で脱走を繰り返す鼻つまみ者ばかり。17回も脱走した者もいる。腐った卵はひとつのカゴに放り込むというドイツ軍の目論みらしいが、逆に脱走のプロフェッショナルを集めてしまった事で、250人もの捕虜たちが脱走するというとんでもない計画が実行される。

映画が始まって間もなく、脱走不可能とドイツ軍が自負する施設に到着すると早々に捕虜たちは行動を起こす。ここが面白い。彼等と入れ替わりで移動するロシア人の捕虜に紛れて逃げようとする者や、廃棄物を運び出すトラックに飛び乗る者だったり…と脱走に向けて動き出す。マックイーンはのんびりとキャッチボールを楽しむそぶりで鉄条網までの死角を探るなど強か。冒頭はこうしたサスペンスの中にユーモアを交えながら小気味良い調子で物語を進めていくのは、ヤンキーのスタージェス監督ならではのセンス。そう言えば、この映画に登場する捕虜の中でアメリカ人は、たった三人というのも興味深い。

冒頭の主要な登場人物の紹介が終わると、脱走までの準備を事細かに描く。途中、トンネルが見つかるなど様々な難題が降りかかるが、学者気質のドナルド・プレザンス演じる偽造のプロのくだりが面白い。手作業で書類を捏造して偽物と本物の区別がつかない手腕を披露する彼が、脱走の直前に視力を失う病に罹ってしまう。計画から離脱する事を勧めるビッグXに、自分が助けるというジェームズ・ガーナー演じるヤンキーの調達屋との関係が泣かせる。上映時間2時間52分…1秒たりとも無駄なシーンが無い。

これが史実というのだから驚く。原作は実際に捕虜だったイギリス軍将校のポール・ブラックヒルが自らの脱走記として綴ったベストセラー小説だ。トンネル堀り、情報屋、書類偽装、資材調達、仕立て屋など脱走した後のルートまで、各エキスパートがビッグXの指揮の下で素晴らしい仕事ぶりを見せる。ビッグXを演じるのはイギリスの名優リチャード・アッテンボロー。後に90億円の製作費を投じた戦争超大作『遠すぎた橋』の監督を務めている。登場人物に得意技を持たせて見せ場を設ける…という基本的な構造は『荒野の七人』と同じで、これがスタージェス監督の新しい勝ち筋と言ったところだろうか。

パンフレットには捕虜収容所を舞台としたデビッド・リーン監督の『戦場にかける橋』でも物語の核を握る重要な役で出演しているジェームス・ドナルドが、この二作を比較したコメントを寄せている。ラストシーンで明確に戦争の狂気を打ち出した『戦場にかける橋』だったが、敵国のために橋を作る事に取り憑かれたアレック・ギネス演じる英国軍将校と、後方攪乱を目的として250名の大脱走を促す本作のビッグXは、実は同じ狂気に支配された人間なのだ。脱走したが結局は些細なミスによって捕まった彼が「私がした事は正しかったのだろうか?」と語る姿は、正に狂気から目覚めた瞬間だったように思える。ただし、既にそれは遅かったが…。

一方で映画の中盤に、あと一歩のところでトンネルが見つかってしまい、ギリギリの精神状態だったアイヴスという将校が失意の中で、鉄条網を上ろうとして射殺されるシーンがある。パンフレットで「脱走は知性よりも本能に支配される。自由になりたいという一心が何よりも強いのだ。」と言うのは、映画の技術顧問として、実際の脱走計画にも参加したC・W・フラディ。彼は終戦まで何と!3年も収容所で過ごした。行動が制限された収容所(考えてみよ。テレビもラジオも無い収容所内をせいぜい歩き回るだけ)で3年も過ごして、ただ自由になりたいという思いを抱く捕虜の心情は、平和な時代には理解できなくても、コロナ禍を体験して少しは理解できるようになったのではなかろうか。

双葉十三郎先生は著書「映画の学校」の中でスペンサー・トレイシー主演の『日本人の勲章』を例に挙げてスタージェス監督のシネマスコープ演出について高く評価されていたが、その点において『大脱走』ほどシネマスコープが効果的に使われていた映画は無いのではないかと思う。ブロンソンが収容所から柵を越えて隣接する森まで長いトンネルをスコップひとつで掘るシーンを真横からカメラは捉える。横に細長いスクリーンがトンネルの圧迫感を増長させて、閉所恐怖症じゃなくても息苦しくなってくる。かと思えば脱走に成功したもののドイツ軍に追われてバイクでスイス国境まで逃げるマックイーンが、肥沃な丘陵地をスタントマン無しで見せる大ジャンプもワイド画面の効果を十二分に発揮していた。

比較的多くテレビ放映で観る機会が多い映画なので散々観たのだが、意外とリバイバルは1970年と2004年だけ。新宿歌舞伎町にあった東急レクリエーションが運営する1288席の客席数とバレーボールコートと同じサイズの巨大スクリーンを誇っていた「新宿ミラノ座」で開催された「東京国際ファンタスティック映画祭」の特別枠で上映された時は、エンドロールで出演者が映し出されると場内から拍手が巻き起こった。