1950年代には、ベニー・グッドマンやエディ・デューチンなどジャズ音楽の伝記映画が数多く作られた。どれもが日本人でも何処かで聴き覚えのある名曲を生み出したアーチストばかり。その中でも『5つの銅貨』の主人公レッド・ニコルズというコルネット奏者の名前は戦後よりも戦前生まれの父がよく知っていた。数あるジャズバンドの中でもニコルズのバンドはディキシーランド・ジャズというニューオリンズで誕生した初期のジャズスタイルを踏襲しており、コルネットの他にバンジョーやクラリネットなどが入っているのが特徴で、スウィング系のジャズよりもブルースやラグタイムに近い。

タイトルの『5つの銅貨』というのは、主人公の名前のニコルズが銅貨(5セント)を意味しているものだと知ったのはウディ・アレンの『アニー・ホール』の中でウディ演じる主人公にニコルズという酔っぱらいのおじさんが額に銅貨を貼って「5セント玉で覚えておくよう」絡むシーンでだった。このニコルズを演じるのは戦後に活躍した名コメディアンのダニー・ケイ。クレイジーキャッツの谷啓の芸名はここからいただいている。ダニー・ケイと言えばハワード・ホークス監督の『ヒット・パレード』だ。彼が演じるのはジャズを研究している音楽院の教授で、ルイ・アームストロングがゲスト出演していた。

物語の舞台となるのは1920年の禁酒法時代。コルネットひとつで一世を風靡したニコルズの半生を描く。あまり聞き慣れないコルネットという楽器は、見た目はトランペットに似ているが構造が少し違っており、トランペットよりひと回り小さい。冒頭間もなくバーバラ・ベル・ゲデス演じる歌手と飲みに行ったクラブ(禁酒法の時代なのでティーカップでお茶と偽って酒を提供している)のステージで演奏していたルイ・アームストロングとジョイントするシーンでトランペットとの比較が出来る。本作でダニーが吹くコルネットのサウンドトラックを全て本物のニコルズが吹き込んでおり、ダニーのコメディアンとしての才能とニコルズの名演奏が見事にコラボして他の音楽伝記映画と一線を画している。

自分の音楽をやりたいために、雇ってくれたバンドを離れて、生活のため幾つものラジオCMを掛け持ちするシーンがある。下積み時代を音楽以外で凌いできた姿を(表情や動きは『雨に唄えば』のドナルド・オコナーを彷彿とさせる)ユーモラスに描く。ただ、パンフレットに寄稿されている野口久光氏の解説によるとフィクションの部分も多く、ナイトクラブが主な活動の場だったニコルズのバンドが禁酒法時代に演奏をするのは、もぐりの酒場だったらしい。大っぴらにアルコールを提供出来ない時代である。多くのプレイヤーが失業を余儀なくされていた背景については、映画では敢えて描くのを避けたわけだ。これも映画が製作された1950年代の風潮が反映されており、今の時代ならば禁酒法の闇の部分を描いた音楽映画として作られただろう。

音楽家の伝記ものはドラマチックな生涯である事が、泣かせのポイントとなるわけで、本人のヒット曲が被さる事で更なる感動を呼ぶ。本作ではルイ・アームストロングが本人役で登場してニコルズとの掛け合いで「聖者の行進」を披露するくだりがある。しかし、実際のニコルズは歌うことはしない純粋なコルネット奏者であった。これは映画的なウソであって、むしろダニー・ケイの芸を披露する見せ場作りのためのフィクションだ。こうした製作方針が功を奏して、ダニーとルイの素晴らしいセッションを見ることが出来る。このシーンが最大の見せ場となった。もうひとつ映画的なウソといえば、劇中では仲間と共にファイブ・ベニーズという楽団を結成しているが、実際はレコード用の楽団であってニコルズは別の楽団に所属していた。

本作のニコルズは映画で描かれているような強引な人物ではなく物静かな人物だったという。ユタ州の田舎から出て来た彼が最初に所属したのは、スウィングジャズを主流とした…いわば上流階級の白人向けのジャズの楽団。そこで入団早々、ニコルズは自分はニューオリンズスタイルなので、僕の書いた編曲を見てくださいと頼むところから強いこだわりを持っていたと思う。彼の行動で少し補足すると、本来のジャズは譜面で演奏するものではないという、当時流行っていた白人的なスウィングジャズに対するアンチテーゼであった。結果、編曲されたデキシージャズが後のスイングジャズのスタイルとなり、グレン・ミラーやベニー・グッドマンに続くことになる。

地方巡業で忙しくなったニコルズは、娘を寄宿舎に預けたまま放ったらかしにして、小児マヒに罹り歩けなくなった娘から非難される。今まで仕事を優先させて家族を顧みなかったニコルズだったが、第一線から退いて家族中心の生活を選ぶ。劇中、娘の誕生日に来ていた友だちがコルネットという楽器を知らなかった事に落胆するシーンがある。既に彼が過去の人となってしまった現実がここで描かれる。その時、「スミソニア博物館に恐竜の隣に展示している。今に私も行く」と説明する姿が胸に迫る。そして、親がファンだったという子どもたちの言葉にムキになるニコルズの姿と、本作が作られるまでは人気に陰りが出てきたダニー・ケイの姿が重なる切ないシーンだ。