ソ連が推進する過酷なダム建設現場で働く少女の後ろ姿を捉えたラストショットに深くため息。少女がバラライカを肩に掛ける姿は、3時間以上にも及ぶ禁断の愛に走った二人の男女が辿る物語の結末を雄弁に語る。1917年のロシア革命を背景とした激動の時代を生きた詩人ユーリー・ジバゴの人生を描いたデビッド・リーン監督の『ドクトル・ジバゴ』ほどハリウッドの映画マジックに驚いた映画は無かった。高校生だった私は学校の授業でロシア革命について学んだばかりだが、丁度リバイバル上映された本作のおかげで、より理解が深まったと記憶している。

ロシア革命と第一次世界大戦という激動の時代、二人の女性の間で揺れ動くジバゴの心情と翻弄されるロシアの人々の姿が70mmの大スクリーンで描かれる。母の死後、良家の親戚の元で育ち医者として成功したユーリーは、自宅のベランダから目の前の大通りで、貧困に抗議する労働者のデモ行進を警察が力でねじ伏せて多数の死者が出る光景を目撃する。医者として負傷者の手当をするユーリーに、警察は勝手な事をすると逮捕すると権力を振りかざす。映画ではここがユーリーの分岐点として位置付けられている。

原作はロシアの詩人でノーベル賞作家のボリス・パステルナーク。生涯の伴侶として(結婚はしていないが)最後まで共にした20歳以上も年下のオリガ・イビンスカヤとの想いを綴る私小説だ。当時のパステルナークには正妻がいたが、オリガとの恋を選んだ。そのオリガが『ドクトル・ジバゴ』のヒロインであるラーラのモデルとなっている。当局にマークされていた反体制派の詩人の愛人という事で強制収容所に収監もされていた。この本はソ連国内では発禁とされていたため、密かに国外に持ち出されイタリアで出版された。ペンが剣に打ち勝ったわけだ。複雑に絡み合う社会情勢の勢力図と人間関係の原作をロバート・ボルトが上手く整理して脚色した。17歳の私が初見で受けた映画の印象から歳を重ねる毎に随分と主人公に対する印象が変わってきた。だから映画は面白い。

ロシアの労働者階級が立ち上がって帝政を崩壊させた激動の時代、元々帝政であるが故の格差社会に革命の火種が燻り始めていたところだ。第一次世界大戦の東部戦線では、ロシア兵は武器も持たずに突入させられ、長期化によって飢えと寒さで虫ケラのように無駄死させられる事で一気に革命へと突き進んだ。映画の中で最前線から離脱するボロボロになった兵士と、戦線に補充される新兵がぶつかるシーンが象徴的であった。ピカピカの軍服姿の新兵に「行くな」「無駄死にするぞ」と説得する離脱兵が遂に暴徒と化して指揮官を銃座で惨殺する姿がショッキングであった。

このように世界大戦と並行してプロレタリア革命が国内で起こっている事からもロシアの混乱は推察出来る。更に映画の中でも描かれているが、革命軍の中でも白衛軍から赤衛軍が分裂して争うなど国民にとってはたまったものではない。劇中で二つの勢力が順番にやって来て村を焼き払うエピソードが語られる。物語は、軍医と看護婦として戦闘のど真ん中に巻き込まれたユーリーとラーラの視点から、政府への不満が爆発した国民が革命へ至る経緯を縦軸、時代に翻弄される二人の恋愛を横軸として綴られる。ユーリーを演じたのは『アラビアのロレンス』でアラブの指導者を好演したエジプト人のオマー・シャリフ。一部にはミスキャストでは?という声も上がっていたが、繊細ながらも力強さを秘める主人公の心情を上手く表していたと思う。

冷戦時代に製作された本作は、勿論ロシアでのロケ撮影は不可能。世界各地でロシアの山林に似た地形がある場所を念入りにロケハンを行った。何より驚いたのはハリウッドの力量を見せつけたのがモスクワ市街地のメイン通りをマドリッド郊外に800メートルに及ぶオープンセットを建設してしまった事だ。あれが全部セットだったなんて…恥ずかしながら私は映画を観た時、ソ連でロケ撮影したと思っていた。美術を手掛けたジョン・ボックス、テリー・マーシュ、ダリオ・シモーニはアカデミー美術賞を受賞している。ハリウッドの凄さを思い知らされた映画でもある