序曲のある映画が好きだ。本編が始まるまで5分前後(これが結構尺がある)本編で使われている楽曲のインストゥルメンタルをフルオーケストラで流す。『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』だれも長尺ながら何度でも観たくなる名作だ。大概、2時間半から3時間の上映時間で中盤で休憩が入るトッドAO・シネラマ・70mmなど超大作と呼ばれる映画に多かった。近年は3時間程度の映画でも途中に休憩を挟まなくなったので今の若い人は「昔は映画の途中に休憩が入っていたんですか?」と驚かれる。1961年に公開されたロバート・ワイズとジェローム・ロビンス共同監督による『ウエスト・サイド物語』は、長い序曲が次第に盛り上がり、遂にタイトルがバーンと表示された時の高揚感は、他に類を見ない。ちなみにマンハッタン島の線画から実写に変わるオープニングを手掛けたのは、グラフィック・デザイナーのソウル・バスである。この映画は、それまで抱いていたミュージカル映画の常識を覆すものとなった。

パンフレットの中でワイズ監督は、大スクリーンで理想的な映像を表現する最適な撮影方式をパナビジョン70mm方式だと語る。ただしこの方式は扱いが方が難しいため、撮影にあたり撮影方式を研究する事に時間と経費(100万ドルが追加)が掛かったという。序曲が終わるとマンハッタンを空撮で真俯瞰から捉える映像に変わる。セントラルパーク、国連本部、ヤンキースタジアム等の風景をゆっくりと映し出し、移民の町ウエスト・サイドへとカメラは移動する。口笛とフィンガー・ティップスだけが響く静かな導入部。撮影を手掛けたダニエル・L・ファップのカメラが捉えるニューヨークの街並みは実にダイナミック。そしてカメラは、その一角にあるバスケットコートに近寄っていく。ここが現代の『ロミオとジュリエット』の舞台となる場所だ。

スタジオにセットを組んだ屋内撮影が主流だったハリウッド・ミュージカル(主にMGMだが)から、本作で初めて屋外ロケーション撮影を敢行したのが良かった。ジーン・ケリーの『踊る紐育』のようなニューヨークの名所はオープニング映像のみでサラリと流し、観光客が行かないようなダウンタウンの裏通りを物語に融合して効果的に映し出す。ロケ場所の中には物騒な地域イーストハレムも含まれるので撮影がいかに大変だったかが伺える。冒頭ジョージ・チャキリス演じるベルナルドが踊るシーンで、彼の決めポーズの背景に倉庫と青空を入れるために道路のアスファルトを掘り返して超ローアングルでカメラを据えるこだわりを見せた。その甲斐があって、本作を語る上で欠かす事が出来ない名シーンとなった。おかげで踊れる俳優を夢見てショウビズの世界に入り、舞台版から引き続き映画版に起用されたチャキリスにとって夢が叶った作品となった。

人種が入り乱れるニューヨークの下町で、プエルトリコ移民で構成される「シャーク団」とイタリア系移民で構成される「ジェット団」の若者たちは、常に小さな縄張りを巡って争いを繰り返している。「シャーク団」のリーダーの妹マリアと、かつて「ジェット団」のリーダーで現在は堅気となっているトニーが、あるダンスパーティーの夜に出会い恋に落ちる。対立する二つの組織にとっては禁断の恋だ。悲劇のヒロイン・マリアを演じるのはナタリー・ウッド。『理由なき反抗』『草原の輝き』で揺れる10代の複雑な感情を豊かに表現してきた当時の青春映画のスターだ。彼女と恋に落ちるトニーを演じたリチャード・ベイマーは本作が出世作となった。

二人が愛を語る『ロミオとジュリエット』で言うところのバルコニーが本作ではアパートの裏通りの非常階段となっており、このシーンはスタジオに巨大なセットを組んで撮影され、ミュージカル不朽の名曲「トゥナイト」を歌い上げた。実際にはマーニー・ニクソンとジミー・ブライアントが吹替えている。マーニーは「最強のゴーストシンガー」として有名で、『マイ・フェア・レディ』のオードリー・ヘップバーン、『王様と私』のデボラ・カー等の吹替えを担当しているハリウッドを影で支えた立役者である。

初めて観た時は不良のケンカまでダンスにしてしまう振り付けに正直驚いた。振付を担当した共同監督のロビンスは、撮影前に徹底したこだわりで、70mmの大画面を有効的に使うダンスの空間的演出を研究したという。「シャーク団」の若者たちが、アメリカに抱いてやって来た夢と現実のギャップを高らかに歌い上げた「アメリカ」は、その最高潮と言っても良いだろう。今までのミュージカルといえば俳優は皆、歌が上手く美声で安定した音程が当たり前だと思っていたのに、「ジェット」団のリーダーを演じてアクロバティックなダンスを披露してくれたラス・タンブリンだったが…歌声は悪くいえば粗雑でぶっきらぼうという印象を持つ。確かにケンカっ早い不良が美声では興ざめしてしまうのは確かだが、こうしたセリフのような感情を入れ込んだ歌い方でもミュージカルとして成り立つ事を証明してみせたのだ。

パンフレットにはロケ地となるニューヨークの下町や撮影時のエピソード等が4ページに亘って紹介されている。日本での公開が1961年12月だったが、500日以上に及ぶロングランの大ヒット中に、公開4ヶ月後のアカデミー賞で作品賞を受賞して、急遽パンフレットの増刷時に、表紙と1ページ目をアカデミー賞10部門を受賞したヴァージョンに差し替えて改訂発売された。それから60年。とうとう、スティーブン・スピルバーグが『ウエスト・サイド物語」のリメイクに挑む。全世界のコロナ再拡大で2021年の年末公開から翌年春に延期して満を持しての公開となったが、最新の技術でこの名作がどのように甦るか…今から楽しみでならない。