先日ようやく公開された007シリーズ最新作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』を観る。素晴らしかった。2年待った甲斐がある最高の出来だった。これで完結なのか?と思ったらエンドロールの最後に嬉しいクレジットが…まだまだ楽しめそうなので安心して基本に立ち返って第一作の『007は殺しの番号(ドクター・ノオ)』を観る。そう言えば、『トレイン・スポッティング』で007オタクが、本作でボンドガールを演じたウルスラ・アンドレスを「彼女こそ真のボンド・ガールだ。ボンドのカッコよさを象徴してる」と褒めていたのを思い出す。とは言うものの本当は最近の007には一抹の寂しさを感じていたのも事実。やっぱり初代からのファンとしては荒唐無稽なスパイものからリアルに傾いた『カジノロワイヤル』以降は異質な007ものと捉えていた自分もいた。だからと言って、時代が変わったから…と簡単に片付けるには惜しいではないか。

原題は『ドクター・ノオ』だが、日本で初めて007を紹介するにあたり、いきなり敵の名前をタイトルにしてもお客は呼べないと考えた配給会社は、あえて原題を使用せず007の特徴を印象付ける「殺しの番号」としたのはセンスが良かったし正解だった。初版パンフレットの解説には、ジェームズ・ボンドの事を「スパイ」ではなく「探偵」と説明していたのには思わず吹き出してしまった。それまで日本では「スパイ」という名称が使われていなかったとも思えないのだが…。僕が物心が付いた時には「スパイ」という言葉は浸透しており、ちゃんと認識して見たのは『スパイ大作戦』だったと思う。オシャレにダサく…大真面目に役に立つのか分からない代物(武器)をたまに使うボンドに我々はカタルシスを感じていたのだ。

僕の007デビューは小学生に上がった時で、父に自分から頼んで連れて行ってもらった初めての映画だ。それが偶然『007は殺しの番号』のリバイバル(『ドクター・ノオ』に改題)だった。おかげで、テレンス・ヤング監督とショーン・コネリーの名前は、007の代名詞となった。このコンビで作ったのは3作品しかなかったという事実も意外だったが、それだけインパクトが強かったのだ。何よりも初代ボンドの候補に、既にロジャー・ムーアの名前が上がっていた事に驚く(ムーアがテレビドラマに出てあるなければ順番が逆になっていたかも)。リバイバル時のコネリーは既に大スターだったが、ボンドを演じる前年に出演の『史上最大の作戦』ではコメディリリーフ的な役回り。パンフレットではコネリーの名前が(間違いでは無いが)コナリーだった頃に比べると日本の知名度もかなり上がったようだ。

実際、戦時中にイギリス海軍で諜報活動を行なっていた経験のあるイアン・フレミングが自身の経験を元にスパイ小説として1954年に発表されたのがジェームズ・ボンド・シリーズで、『ドクター・ノオ』は6作目に当たる。既にシリーズ化は決定されており、『ロシアより愛をこめて』の準備が進められていた。パンフレットには「ジェームズ・ボンドの新冒険」という仮題で紹介されていた。『危機一発』もどうかと思うが、こんなタイトルにならなくて本当に良かったと思う。このフレミングは美食家としても知られていて、小説の中で世界各地でボンドが食する料理を細かく描写するのが特徴でもある。映画のイイところはそれを視覚で見せられる点であり、ここでプロデューサーと監督の手腕とセンスがモノを言う。

物語は、ケープカナベラル周辺で発せられるロケットの軌道を狂わせる怪電波の謎を巡ってジャマイカで諜報活動を行なっていた調査員の不審死を巡って活躍するボンドを描く。この映画が日本で公開された前はキューバ危機があって、世界が一触即発のきな臭い空気に包まれていた頃だ。この年、部分的ではあるが核実験禁止条約が締結され明るい日差しが見えてきたかと誰もが思っていた。そんな時にイギリスのスパイが活躍するアクション映画が作られた。パンフレットの中でソビエトの機関紙が一面トップに映画のワンシーンを取り上げて「ブルジョア階級の没落」という見出しの下に作品内容を批判したと紹介されているのが興味深い。

僕はアクションよりもボンドのさり気ない所作が好きだった。何よりボンドの初登場シーンは何度観ても素晴らしい。カジノに男がボンドを探しに来る。男は受付で「ジェームズ・ボンドを…」と取次を頼むと、スタッフが店内に探しに行く。カメラはギャンブル卓に座るボンドの後ろ姿と手元だけしか写さない。カメラが後ろにパンしてもまだ顔を映さない。勝負をする女性から名前を聞かれた時にカメラが初めて正面からボンドの顔を捉えて、煙草に火をつけてひと言「ジェームズ…ジェームズ・ボンド」。まさに後世に続く自己紹介の誕生である。また、ホテルの部屋を出る時にクローゼットの扉に貼付けていた髪の毛が落ちているのを確認すると、テーブルに置いていたジンのキャップの匂いをかぎ、少し眉を潜めて引き出しから別のジンを出す。こうした一連の行動がことごとくお洒落でカッコ良い。

今日までボンドの基本スタイルが残されているのは、ヤング監督のおかげという誰もが口を揃える。美食家で世界の一流品を見極めるセンスを持つ諜報員。それがかっちりコネリーのキャラクターにハマった。これは奇跡だ。もしかすると最初からムーアがボンドになっていたらシリーズはここまで続かなかったかも知れない。高級なワインの銘柄を注文する時も女性がハンドバッグに入れて扱いやすいベレッタについて語る時もコネリーの野性味溢れる太い声だからこそ耳に入ってくるのだ。