2014年、東京の大森にある映画館「キネカ大森」にて、7年前に亡くなったイングマール・ベルイマン生誕95周年を記念した中期に発表された「3大傑作選」がデジタルリマスター上映が行われた。その中にあった『野いちご』は、高校2年の頃にNHKで字幕放送された時に初めて観た。冒頭に出てくる主人公が見るシュールな夢の映像にすっきり心を奪われた。まだ死を意識していなかった10代の私は、禍々しいモノトーンの映像に衝撃を覚え、ビデオに録画していたので、それから何度も同じシーンを繰り返し観た。そして、あちこちの古本屋を探し回ってATGのパンフレットを見つけた時は、800円と学生には高額だったが迷わず購入して隅々まで目を通した。掲載する写真のパンフレットに記載されている「新宿劇場」は歌舞伎町にあった1379席の大きな映画館でTY系作品を掛けていた。

ベルイマンの名前を知ったのはウディ・アレンの映画『アニー・ホール』からだと思う。フェリーニ、ルノワール、ベルイマン…ウディが傾倒する映画監督の筆頭に挙げている一人で、劇中デートで観ようとしていた映画もベルイマンの『鏡の中の女』だった。ちなみにウディの『地球は女で回ってる』は『野いちご』にインスパイアされた作品である。初めてベルイマンの映画を観た時に感じたのは、この人は構成で遊ぶ作家なんだな…という事だ。

今回の上映で久しぶりに再見して驚いたのは『野いちご』は、実に分かりやすいロードムービーだったという事だ。何となくベルイマンの映画にロードムービーという安易な表現は似つかわしくないと思って避けていたが、死を予感させる夢を見た老医師が、授与式に出席するために自宅のストックホルムからルンドまで14時間かけて車で旅をする道中を描いている。息子の嫁が運転する途中で、今まで関わった事のない世代や人種との出会いによって、厳格な人生を歩んできた老医師は新たな境地に踏み込む。「死」の恐怖を身近に感じている老人が、「生」に満ち溢れた若者と触れ合い、自らの過去を振り返って、残りの人生に向き合うという、とても取っ付きやすいロードムービーの王道を行く映画だった。

主人公の老医師イサクを演じたのはスウェーデン映画のサイレント時代から活躍されていた名優であり名監督として知られるヴィクトル・シェーストレム。当時78歳だったヴィクトルの品のある佇まいと目の下に深く刻まれた皺が印象に残る。ベルイマン映画の常連イングリッド・チューリン演じる息子の妻が運転する車の助手席で、義父の事を嫌っている嫁との調子が噛み合わない会話に、冷静を装うオトボケに愛らしさを感じる。彼女は義父に「エゴイストよ」と言ってのける。息子に対する思いを語る義父の返答に、微動だにせず運転するチューリンの演技の妙。新旧二人の演技人が、まさに最高の組み合わせを見せる。

ベルイマンは映画の中で、現在進行している場面から、夢の中で過去の自分へと場面をスライドさせる手法を取る。現在の自分が客観的に過去の自分を観察する…この手法はウディ・アレンが『アニー・ホール』で取り入れている。ずっと生真面目な堅物として生きてきたイサクだったが、婚約者を遊び人の弟に奪われてしまう。その様子を夢の中で老いたイサクが見ている。夢はイサクの心の鏡となり彼の不安や潜在意識を表す。だから彼の夢の中に出てくる人物たちは鏡を見ている。

映画の中盤で、3人の若者を車に乗せてやる事から、物語に新しいアクセントが生まれる。その中の中心にいるのがビビ・アンデショーン(昔の恋人と二役)演じる奔放な女子大生。歯に衣着せぬ発言によって二人の男子学生を翻弄して、イサクの心にズカズカ踏み込んでくる。こうした世代や性格のギャップによる面白さは『男はつらいよ』でもよく使われる。寅次郎が旅先で出会った学者やインテリと呼ばれる人種のアイデンティティを掻き乱す面白さと似たところがある。しかし「人間いつかは死ぬんだから、今を楽しまなくちゃ」と言うのはこうした「死」にはまだ遠い若者たちであり、イサクのような「死」に近い年齢になると「死」に対する恐怖は計り知れない。授与式が終わり若者たちが去った後、静寂の中で眠りにつくイサクのアップで終わるラストカットによって映画の格調を高めた。