アメリカ南部の名家に生まれ、乳幼児の頃に罹った病で視覚と聴覚を失いながら大学教育課程を修了し、二つの博士号を持つヘレン・ケラーが、三重苦を克服した幼少期を描いた本作は、ブロードウェイでロングランを記録したウィリアム・ギブスンが書き上げた戯曲(映画の脚本も手掛ける)の映画化である。監督は社会派として後に『俺たちに明日はない』や『小さな巨人』などのアメリカンニューシネマを送り続けたアーサー・ペンが舞台に引き続き、外界から遮断され、人間性を失いかけていた7歳のヘレンに理性と秩序を教え、彼女の秘められた才能を引き出した女教師アニー・サリバンとの壮絶な日々を力強いモノクロ映像で描いている。フィラデルフィア出身のアーサー・ペンは、ニューヨークを中心に活躍していたが、映画では南部の香りが画面から漂ってくる不思議な作家だった。本作でもヘレンの生家は南部のアラバマ州にあって、軍人である父親は事あるごとに「北部の人間は…」と引き合いに出して文句を言う人物だった。

サリバン女史を演じたのは舞台と同じくアン・バンクロフト。ヘレンを天才子役として舞台でも高い評価を得ていた15歳のパティ・デュークが演じている。ブロードウェイの舞台に初めて立ってヘレンを演じた時は12歳というのだから驚く。殆どが二人の室内劇であるが、その二人の演技はこちらが想像する以上に壮絶を極める。両親は三重苦のヘレンを憐れみ、自由奔放に育ててしまい、社会生活を送る上での最低限のルールを持ち合わせていない。彼女は思い通りにいかない時には怒りを露わにして、躊躇なく拳を振り上げる。サリバンは、初日から人形で殴られて、歯が欠けるという洗礼を受ける。

真っ暗で静寂に満ちた世界の中で、他人の生きている世界がどうなっているのかも分からないヘレンが、自分の思い通りにならないと癇癪を起こす。その時に見せる表情は少女とは思えないほど恐ろしくさえ映る。またディナーの席で食事をする家族の後ろを歩き回り、手掴みで家族の皿から料理を貪るヘレンに何も言わず食事を続ける家族の姿にも違和感も覚える。そんな不自然な環境の中でヘレンに、ありとあらゆるマナーを教え込むサリバンをペン監督はアグレッシブな演出テクニックでグイグイ見るものを引き込んでいく。

今まで手掴みで食べていたヘレンに何度もスプーンで食べさせる…ヘレンがインプリンティングするまでのスピード感は、観客の関心を捉えて離さない。外界から情報が遮断されているヘレンが時折見せる顔芸(手の感触だけでサリバンの困った顔を真似るのは最高だ)にも通じるオトボケがない混ぜになった演技。もしかすると、不自由な世界に生きてきた中で、ヘレンなりに培ってきた知恵みたいなものがあるのでは?とさえ思えてしまう愛らしさに、思わずクスリと…。こうしたやり取りを繰り返す二人の女優は、まさに最強の組み合わせだ。

しかし、父親はサリバンの行き過ぎたやり方に乱暴過ぎると反対する。そして、2週間という期限付きで、サリバンは、家族から離れて、ヘレンに人としてのルールを徹底して体で叩き込む。ここで繰り広げられるのは二人の戦いだ。何度もヘレンは過ちをおかし、その度にサリバンはそれを正す…それを繰り返す。そうしたシークエンスを丁寧に描かれているからこそ、井戸から流れる水を触り「Water」と言葉を発した時、物と名前が結びついている事が理解出来たラストの感動が生まれるのだ。

『奇跡の人』の成功は、こうしたパティの演技力によるところが大きいが、6歳の頃に彼女の能力を見出したエージェントのジョン・ロスの功績も確かである。ロスが本作がブロードウェイで上演されることを知った時、彼女にヘレン・ケラーに関する書物を読ませ、更に三重苦の言動について訓練を繰り返したという。その結果、パティはアカデミー助演女優賞、アンは主演女優賞を受賞した。本作の公開から16年後、今度はパティ・デューク・アステイン(俳優のジョン・アステインと結婚のため)が、1979年に製作された『奇跡の人』のリメイクで、サリバン女史役で出演。感慨深いものがあった。ちなみに、ヘレン役を『大草原の小さな家』で人気を博したメリッサ・ギルバートが演じた。