愛媛県の海岸線を走るJR予讃線は車窓から瀬戸内の素晴らしい景観を満喫出来る。松山から今治まで特急ならば30分とちょっとだが、天気の良い日は敢えてその倍は掛かる各駅停車を選ぶ。本当ならば窓を全開にして潮風を浴びたいところだが、最近の列車は窓を開けられないのが残念だ。やがて造船所の大きなクレーンが何機も見えてくると、そうこうしている内に今治に到着する。駅から真っ直ぐ延びるメインストリートを海の方向に歩く。国道から少し入った路地に、周囲の街並よりひと際目立つ外観のミニシアター『アイシネマ今治』がある。代表を務めるのは、以前、映画評論家・水野晴郎氏の事務所で働いていた経歴を持つ小畠源氏だ。「当時、秋田の映画館を運営したり、配給の仕事をしていた小畠は“いつか地元・今治で映画館をやりたい”と、常々思っていたそうです。ちょうど、今治に戻って来た11年前、売りに出されていたココを買い取ったのが始まりです」と語ってくれたのは現在、支配人を務める山本秀一氏だ。

元々、裏手にあった“今治グランド劇場”という客席数550席を有する単独の映画館を運営していたシネマ会館(株)が、更に業務を拡張するため新設した“今治シネシティグランド”という100席の劇場2館と200席の劇場1館を有する映画館が、『アイシネマ今治』の前身である。閉館してからしばらくそのままになっていた施設を買い取った小畠氏は、2005年4月下旬にミニシアターとして復活させた。エントランスをくぐると左手にカフェ、チケット売り場と受付の奥にある階段を2階に上がると3階まで吹き抜けのホワイエがある。天井が高いスタジアム形式の場内は中央から勾配が急になり観賞しやすい作りになっている。ミニシアター系の映画館が好きだった小畠氏は、当時では珍しかったロビーにオシャレなカフェを併設させるなど、今まで見た事が無い斬新な作りと、アート系を中心としたラインナップを次々と送り出して今治市民を魅了した。


「愛媛県の人たちはCMで宣伝しているものが映画という感覚の方がまだ多く、ミニシアター系のようにネットで自分から調べないと出て来ない作品は、人目に触れず終わってしまい、しばらく苦戦していました」そんな中、転機となったのは日本アカデミー賞を受賞した“フラガール”だった。「あの作品はメジャー系ではなくミニシアターのラインで流れていたんですよ。最初はどこの映画館も興味を示さなかったらしく、配給会社から是非やってもらえないか…と声が掛かって。ちょうど僕らも観たかったので、皆で良かったねって言ってたら、これが大ヒットしたわけです。邦画であそこまでヒットしたのもミニシアター系では10年に一度の作品と言われていますけど、正に連日満席で…この頃はまだフィルムでしたからウチが独占状態で、1つのスクリーンで回せるだけ回していました」と山本氏は当時の活況ぶりを振り返る。「多分、全国でも一番長くやっていたはずですよ。ウチが終わったら他の映画館がやりたがっているのが分かったので意地でもやり続けよう…と(笑)。しばらく続けて充分かなと言っていたのですが、もしかするとアカデミー賞を獲るかもと、二週間くらい空けてアンコール上映をする予定にしていたんです。そしたら見事、予想的中で(笑)またリピーターが来てくれましたね。配給会社さんもまさかあそこまで行くとは思っていなかったみたいですよ」最近では伊藤淳史主演の“ボクは坊さん。”という今治出身のお坊さんが書いた原作を元に今治で撮影した御当地映画が小品ながら大健闘した。



設立時は、常設映画館として2階と3階(現在は休館中)の2スクリーン体制で、1階にあった劇場は多目的ホールとして地元の人々が催すイベントや地元の劇団がライブを行えるような施設だった。このように映画を上映するだけではなく今治市と協力して街興しにも力を入れている。当初はシネマトークと銘打って古谷徹氏や池田秀一氏など声優をゲストに招いてトークショーを行ったり、B1グランプリで今治の代表として、御当地グルメ・焼豚玉子飯の普及を行うなど、街の一員として今治市を盛り上げるための活動を積極的に行っている。また1階のロビーでは地元の人たちが作った雑貨を販売するスペースを設けて、手作りの人形や手さげなどの小物を置いて市民の交流の場として活用されている。

昭和30年代の今治市内には12館もの映画館があったが、娯楽の多様化により映画の斜陽化が囁かれてから次々と映画館は閉館。1976年には、東宝系の“今治中央劇場”と、大映・松竹系の“今治第一劇場”、日活系の“今治京町劇場”…そして、“今治シネシティグランド”の4館を残すのみとなってしまった。やがて、近隣にシネコンが入った大型のショッピングモールが出来た事が決定打となり、徒歩圏にあった映画館は一時期、全て姿を消してしまった。「狭い商業圏ですから今治の住民は、買い物というと市内ではなく松山や新居浜に行っちゃうんです」と言われるように、これは映画館だけの問題ではなく、街にも人々の姿を見かけなくなってしまう事態に陥ってしまったのだ。「自分らで動かないと街に人が戻って来ない…そういったところから、映画の上映だけじゃない活動をやっていこうと、随時、大きなイベントを仕掛けているんです。こんな映画館があっても良いかな…と」現在、メインの観客は年輩の方が中心で、高校生から20代の若者は弱いという。「その年代を呼ぼうと思ったらアニメをドンドンやれば来るのでしょうけど…そこを求めると今まで常連で来てくれていたお客様が離れちゃうので、そこは難しいところですね」


愛媛県は人口に対するスクリーン比が突出して多く、全国でも珍しい県だという。「その割には愛媛県は地方の中でも、かなりの地方と見なされているので(笑)つまり…まず6大都市があって、そこから枝分かれして地方に落ちて行くのですが、愛媛は枝分かれした先の4番目くらいに位置する地方と言われているんです。4番目の地方になると興行の世界では、公開がDVDの販売の直前に迫っている…ということなんです」フィルムの時代は、4〜5ヵ月遅れはザラだったが、比較的、早い時期にデジタルに切り替えたため、もう少し早くなったとは言え、それでも2ヵ月遅れでの上映だという。「もう少し早く出してもらえないかと配給会社にお願いするんですけど、製作サイドは大都市で火をつけてから地方で順次公開したいと条件をつけてくるみたいなんです。ただ、昔に比べて今は、情報のスピードが早いじゃないですか…東京で面白いと話題になったら、さほど時間を空けずに地方にも情報が来ているんですよ。そのタイミングで上映されていなかったら、何だ…ってなりますよね」というのがもっぱらの課題。

「今治で商売が成功したら、どこでも成功出来る」これは今治の土地柄を言い表した言葉だが、他所から来て商売を始めようとする人を警戒してしまう地元の気質らしい。「僕も今治出身なのですが、シャッター通りになっている通りを見ていると、やはりこのままではまずいと思います。映画館の傍ら街興しのひとつで始めた焼豚玉子飯ですが、これを目当てに観光客が増えて来たんですよ」映画館の本筋ではないから…と複雑な表情を浮かべる山本氏だが、その結果、街に活気が出れば、外に出ていた人たちも戻って来るはずと言う。「地元の人たちに余裕が出て、ちょっとでも娯楽に回わしてもらえると良いですね。どうしても映画などの娯楽費は一番最初に削られる生活費ですから…これらが上手く廻ってくれればと思っています」どんなに苦しくても映画館は無くしません!と力強い言葉を最後に、帰り道、商店街にあるアンテナショップ“ほんからどんどん”内の愛媛食堂で焼豚玉子飯と焼鳥(今治で焼鳥とは鉄板で焼いたもの)のセットを食べた。甘しょっぱいタレの豚肉にご飯が進んだ。(2016年4月取材)


【座席】 『スクリーン1』152席/『スクリーン2』100席(休館中)/『STUDIO99』60席 
【音響】 『スクリーン1』SRD-EX・SRD
/『スクリーン2』SRD

【住所】愛媛県今治市共栄町2-2-20 【電話】0898-34-7155

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