島根県は東西に長いのだ…と実感したのは、鳥取県側に位置する松江から山口県側の益田まで、山陰本線の特急に乗って2時間以上掛けてやっと到着した時だ。さすが全長673キロに及ぶ「偉大なるローカル線」山陰本線の1区間だけで167キロもある事に驚く。益田駅は小さな駅だが、実は山陰と山陽を結ぶ重要な交通の要衝であり、山陰線では東は京都・西は山口に通じ、山口線では中国山地を抜けて山陽方面まで伸びている。


時間を掛けてでもこの街に来たかったのは、全国コミュニティシネマ会議の議事録に掲載されていた「胸をいっぱいにして夢を描ける時間を提供したい、誰かにとっての希望の灯火を届けたい」という言葉がキッカケだった。その声の主は、コロナ禍の2022年1月26日にオープンした益田市にある『Shimane Cinema ONOZAWA』の館長・和田浩章氏だ。益田駅からも見える『Shimane Cinema ONOZAWA』が入っている建物「小野沢ビル」は線路を越えた北側にある。駅の北側は留置線となっているため改札口は無く、映画館に行くには一度南口を出てからアンダーパスを潜る。正面入口がホテルのフロントとなっており、2階にボーリング場とゲームコーナー、3階に映画館(2館のうち1館はボルダリング施設となっている)とカラオケBOXが入っている。1981年12月20日に完成した「小野沢ビル」は、ホテルに娯楽施設と飲食店が併設されている総合レジャービルとしてオープン。そして3階には『益田中央映画劇場』と『益田中央シネマ』2館の映画館が入った。これが『Shimane Cinema ONOZAWA』の前身である。このビルを経営する小野沢興行は島根県を拠点として、戦後間もない1945年から駅前に『中央劇場』を開館してから次々と映画館事業に乗り出した。現在も「小野沢ビル」の駐車場側のエントランスに『中央劇場・中央シネマ』の看板が当時のまま残っている。その後、1997年に島根県初のデジタル音響設備を導入して館名を『デジタルシアター益田中央1・2』に改め再スタートを切るが、2008年8月31日を持って閉館。しばらく益田市は映画館が消えた街となった。

それから14年…益田市に再び映画の灯がともる事となる。東京・田端にあるバリアフリー映画館『シネマ・チュプキ・タバタ』で支配人を務めていた和田氏と、益田市出身の妻・更沙さんが、映画館復活を果たせたのは幾つもの出会いによるものだった。視覚障害者の人たちにも映画を楽しんでもらえる音声ガイドの制作も行っていた和田氏はある日、音声ガイド制作のワークショップに参加していた女性からこんな話を聞かされる。「お祖父さんが経営していた実家の益田市にある閉館した映画館を復活させたい」その人は小野沢興行創業者の曾孫にあたる神田聖さんだった。「映画文化を益田市に取り戻したいので、そのために出来ることは協力する!」更沙さんから兼ねてより、子供の時に行っていた映画館の話しを聞いていた和田氏は、帰省の際に映画館の中を見せてもらった。「閉館して10年以上経っているのに、こんなにキレイに残っているんだ…と場内を見て驚きました。スクリーンやスピーカーは入れ替えずに利用出来そうだったので、これならばコストをかなり抑えられるんじゃないか…と思いました」和田氏は小野沢興行の三代目にあたる小野沢勝明氏にもお会いして当時のお話を聞かせてもらい、「是非、映画館を再建して欲しい!」という言葉をもらった。


翌2020年。世の中はコロナの蔓延により、社会も映画館を取り巻く環境も一変していた。体調を崩して『シネマ・チュプキ・タバタ』を退職されていた和田氏は「その頃、妻が二番目の子供を出産するタイミングで、このままコロナ禍の東京で暮らすよりも、この機会に益田に移住することを決めました」そこから映画館再建に向けて本格的に準備を始める。改めて映画館を訪れてみると…場内が良い状態で残されているとは言え、映写機や電気設備は新たに揃えなくてはならないという課題が見えてきた。更にコロナ禍だったため空調・換気設備も新調しなくてはならず、想定よりもかなりの経費が掛かることが判明したのだ。そこで費用の一部をクラウドファンディングで支援を求めた(現在、ロビーにはイラストレーター清水美紅さんによる壁画と支援者の名前が描かれている)。「未来を生きる若者に夢を与えたい、大人として挑戦し続ける背中を子供たちに見せたい」和田氏の思いに、約3ヶ月で目標額の600万円を超える寄附が集まった。資金面で再開の目処が立つと、オープンに向けて14年も使われていなかった映画館を徹底的にクリーンアップ。その様子をSNSで配信した。

準備に半年をかけていよいよ『Shimane Cinema ONOZAWA』はオープンする。こけら落としには、思い入れの深い”鉄コン筋クリート”と”スクラップヘブン”など4作品を選んだ。映画館は開けた場所であるべき…というイメージを長年持っていたという和田氏。「だからロゴマークのイラストにはサーカスのテントを描いてもらいました。映画館には色々な形や可能性があって、映画を上映する場所だけには留めない…という方針は最初から決めていました」上映作品はメジャー系からミニシアター系、子供向けのアニメなどジャンルに捉われず幅広い。また、これまでの経験を生かして、誰もが安心して映画を楽しんでもらえる環境を整備してバリアフリー上映や様々な交流会などのイベントも考えているという。


「街に映画館が復活する!」というニュースは、オープン当時に県内外の様々なメディアで取り上げられた。ここからも街の人たちの期待感の高さをうかがい知る事が出来る。オープンから2年…実際に映画館を運営していく中で、理想に反して厳しい現実に直面した事もあった。「益田は商圏的に狭いし陸の孤島と呼ばれている。一番近いシネコンに行くにも車で2時間掛かるんです。ミニシアター系の作品とかもやったのですが、お客さんの反応が今ひとつでした。山陰でウチだけしかやっていない作品だったので自信を持って上映したのですが、嘘でしょ?っていうくらい入らなかったのです」その時、地元の人たちから言われたのは「和田くん…どうしてそんな戦い方するの?ここの人たちはチラシが無ければ来ないよ」という事だった。つまりチラシを見てようやく行動に移るので、わざわざインターネットにアクセスして情報を拾いに行かないというのだ。これも地域の特質という事なのだろうが、春休みに公開してヒットした”スラムダンク”でさえGWを過ぎたあたりに「まだやらないのですか?」と問い合わせがあったという。



こちらのメインのお客様は年配層が中心で、10〜20代の若者層が弱い傾向にある。「今の高校生は3才の時には既に街から映画館が無くなっていたので仕方ないのかも知れない。文化が無くなるというのはこういう事なのだと思いました。だから若者が大勢来ると、ご褒美のようで嬉しくなります」今年公開された”スラムダンク”は正にご褒美と言える作品だった。「映画館を経営して嬉しいのは、何より子供たちが喜んでいる事です。お父さんたちが子供に、お前、スラムダンク観ておけよ…って観させるんですよね。そして映画を観た子供たちがバスケットゴールが無い公園で、映画を真似てバスケの練習をしているんです。あの光景を見た時は本当に嬉しかったですね」

人口が減り続けている益田市は、この2年で2000人くらい減ってしまった。その時、痛感したのは「芸術文化に対する考え方・価値観は映画館によって培われている。映画館が無くなると色々なものが衰退していくと思います。だからこそ、いかに映画館を長く続けるかが命題なのです」そのためには映画館も大きく変わらなくてはならないと和田氏は続ける。「いい意味でお客さんの期待を裏切れる映画館を目指して行きたい」メジャーな作品を掛けたかと思えば、聞いたことも無いようなマイナーな作品を持って来たりして常にお客様にはワクワク感を提供したいという。「この映画館の館長は何を考えているのか分からないと言われたいです。だって次にどんな映画を持って来るのか分かってしまったらつまらないでしょう?」


現在、『Shimane Cinema ONOZAWA』の営業は、水曜日から日曜日までの週5日。営業時間は夕方18時前後の回までとなっている。ほぼ毎日、受付から清掃・映写まで和田氏一人で行っている。更に日々の業務をこなす傍ら、空き時間を利用してロビーの片隅ある畳2畳分程の狭いスペースで音声ガイド制作も再開した。「映画館の業務をしながら出来る仕事は無いかな…思っていたところに制作の依頼が入って来たんです」和田氏の作業の進め方としては、まず吹き込んでから原稿化するスタイル。ここで収録したデータを原稿化して東京のポストプロダクションに送っている。最初に作った音声ガイドが好評だったため、他の制作会社の耳にも届いて定期的にオファーが入るようになった。「年一のペースで仕事が入れば良いかなと思っていましたが、今では毎月コンスタントに依頼が入って来ます」和田氏が目指す「障害を持つ人や様々な状況に置かれた誰もが安心して来られる映画館」を作品の側面からも支えているのだ。いつか『Shimane Cinema ONOZAWA』で和田氏が制作した音声ガイドで映画を観られる日が来るかも知れない。(2023年11月取材)


【座席】 201席 【音響】DOLBY CP950(7.1ch対応)

【住所】島根県益田市あけぼの東町2-1 小野沢ビル3F 【電話】0856-25-7577

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