千葉県北西部に位置する野田市は、江戸時代から続く醤油の町として知られている。東武線の野田市駅前からキッコーマンの醸造タンクが見えて、以前は駅前でも仄かに醤油の香りが漂っていた。駅から15分ほど歩いた場所に、ショッピングセンター「イオンノア店」がある。日光街道を挟んで隣には入園無料の遊園地「もりのゆうえんち」が併設されており、今でも休日になると隣接する茨城や埼玉からも親子連れが多く訪れるファミリースポットである。園内の大きな観覧車は駅のホームからも見える街のシンボルでもあり、高い建物が無い住宅地の真ん中に立っているため頂上から望む街の全景は一見の価値がある。ショッピングセンターとは地下歩道を潜って行き来が出来るようになっており、遊園地で遊んだ後は買い物をして帰路に着く人たちも多い。ちなみに店名にある「ノア(NOA)」は野田駅と愛宕駅の間にある施設だから両方の頭文字を取った造語だという。

そんな「イオンノア店」の商業エリアに隣接するガラス張りの壁面が印象的な円柱の建物の3階に、開館時から地元の人たちに親しまれてきた映画館『イオンスペースシネマ野田1・2』がある。施設の開業と同じ1989年3月25日に「ジャスコファミリーシアターシネマ1・2」という館名でオープンした。当時はまだショッピングセンター内に映画館があるのが珍しかった時代で、駐車場に車を停めてショッピングと映画を楽しめる事から近県からも多くの人が訪れていた。勿論、運営する側もこうしたスタイルの映画館は今まで無かったため、何もかもが初めての体験だったのは言うまでも無い。上映作品はハリウッドの話題作や子供向けのアニメを中心としたプログラムで、若者から家族連れまで幅広い年代の観客が訪れていた。”千と千尋の神隠し”では、エントランス前の階段に出来た二重の列が外まで続き、現場はかなり混乱していたそうだ。


現在、映画館の受付・販売・清掃・映写まで深谷純子さんと青木郁さんを中心に、他のスタッフと共に全てを執り行っている。「創業当時から続けて来られた前任の支配人が定年退職をされてから、パート従業員の私が殆どの業務を引き継ぐ形になりました」と語ってくれたのは入社17年目の深谷さん。設立当時は遊園地内にも森の中にスクリーンがあるイメージで、約120台の車が収容出来た『ドライブインシアター野田(入口の看板には「お車の映画館」と表記されていたのが微笑ましい)』があったため、物珍しさも手伝って周辺の道路は大渋滞を起こしていたそうだ。ちなみにドライブインシアターは2007年に閉鎖したがコロナ禍の2021年に14年ぶりに一時期だけ復活した。設立当時は利用者側だった青木さんは当時の様子を振り返る。「その頃は周辺の街には大きなアミューズメント施設が無くて、車で遊びに行くといったら茨城からここまで来ていました。でも駐車場に入る車で大渋滞が起きていたので、ちょっと遠くなっても遊園地の駐車場に車を停めて地下歩道を歩いて来ていたんですよ」


当初、映画館を運営されていたのは、ジャスコのスポーツ&レジャー事業部だったが、2020年2月にイオンリテール株式会社に映画館部門が移りイオン直営の映画館となった。ロードショー公開よりも少し遅れての上映となるムーヴオーバー作品をメインとした番組編成はイオンエンターテイメント株式会社が担当している。「2スクリーンしかないため、どうしてもロードショー公開は難しいのですが、皆さん遅くなってもここで観たいと言って下さいます」そんな期待に出来るだけ答えられるよう、現場で聞かれる要望はその都度、編成担当者に上げているそうだ。「とにかく吉永小百合さんの映画は毎回必ず入るんですよ。今年は”こんにちは、母さん”の問合せが多かったですね」年配の方が張られているアンテナは意外と広範囲で、最近では野田が舞台の”福田村事件”のCMが放送された途端電話が掛かって来たそうだ。お盆や年末の休みシーズンにはお孫さんを連れたお年寄りが増えるのも恒例で、1階にはフードコートやゲームコーナーなどがあるため、その時期はロビーに子供達の歓声が響き渡る。


ロードショーから遅れての上映が、思いもかけず吉と出るケースも多い。「ちょうど”おくりびと”を遅れて上映した初日がアカデミー賞受賞の翌日だったのです。その日の朝出勤すると、映画館前に人だかりが出来ていて、そこで初めて大変なことになっている!と気づきました」既に他の映画館ではロードショーは終わっていたので観客が集中してしまったのだ。「全く予想もしていなかったので、とりあえずお客様をさばかなきゃと思い…まずは整理して列を作り並んでもらいました」と深谷さんは振り返る。他にも時代劇”忍びの国”では主演の大野智のファンが新潟や青森から来場されてロングラン興行となった。「この作品も他所では既に上映が終了していたのですが、日が経っても多くの方が来場されていました。映画の終わりにスタンディング・オベーションになった事もあって…これには驚きましたね。何回も観に来てくれた方から最終日に、長い間、上映して下さってありがとうございました!とお礼も言われたんですよ」このように、何度でも観たい根強いファンや観逃してしまった方にとって、ここは最後の砦とも言える存在なのだ。「海外に住んでいて日本に着いたばかりという方や、大きいスクリーンと迫力のある音の映画館で観たいから…と、交通費を掛けてでも遠方から来ていただく方も多いです」実際に夏休み興行が終わって間もなく”ワイルド・スピード/ファイヤーブースト”の吹き替え版に、ここでしかやっていないからと、わざわざ都内から来場された方もいたとか。これはロードショー館にはないムーヴオーバー館ならではのあるある現象なのだ。

それでも以前に比べて、若い人は映画館まで足を運ばれるのが少なくなったという。「いつでもネットで見れるから映画館に行かなくてもイイと思われているのでしょうけど。だからと言って私たちの本質は変わらないです。古い映画館ですが、それでも長年来ていただいているお客様には気持ち良く観ていただきたい」と語る青木さんは、最新設備を導入する予算は無くても、出来る限りの事をしていきたいと述べてくれた。休憩中の場内を手際よく念入りに清掃したり、温度設定をするたび場内と調整室を何度も行き来して実際に確認するなど細やかな対応をされている。そのおかげでお客様からも「綺麗な映画館」と評価も高い。これは全てお客様目線で考えて自分たちで出来るところは手を掛けるという創業時からの教えが染み付いているから。「お金を掛けなくてもお客様に楽しんでいただけるように工夫しています」と深谷さんの言葉通り、館内の所々に様々なアイデアが見られる。ご高齢の方が間違えないよう扉にカタカナの劇場表示や上映作品のチラシを掲示したり、高い位置にあるトイレの表示も見過ごされ無いよう目線の高さに掲げたりと正にお客様目線の対応だ。他にも長年使用しているロビーの長椅子に出来た綻びを手作りの犬の足跡(パウチまでされている!)で目隠しをされたり、自動販売機の配線で怪我をしないように段ボールでこさえたポップで覆う等、これらは全て深谷さんの手作りだ。「お年寄りやお子さんが多いので、私たちが出来るのはいかにお客様に喜んでいただけるか?を考える事。大きなことは出来ませんが…そういうところを大事にして行きたいですね」


映画を観るならここで…と昔から御ひいきの年配のファンも多い。帰り際に「ありがとう!面白かった。また来るわね」という声も掛けられる。常連さんのお顔は覚えているというお二人は、地元をもっと大事にしたいと口を揃える。「ウチは最新の設備やヒット作品だけを揃えれば良いというものではないので、地元の方に喜んでもらえる映画館を目指したいです」天井が高くスクリーンが大きいため迫力ある映像を堪能出来ると評判の場内も昔の映画館ならではの良さに溢れている。また常連さんに喜ばれているのが、チケットは全席自由でスタッフが対面販売されている事。自動券売機は存在しない。それがお年寄りには重宝がられているのだ。「やっぱり皆さんは機械を操作してチケットを購入するのは抵抗感があるらしく、スタッフに声を掛ければ何でも教えてもらえるからありがたい…と言ってくれます」逆に初めて訪れた若者から、チケットはどこで買えるのか?と聞かれたり、入場順で好きな席に座れる事に驚かれるそうだ。

今年に入り、ようやく日常を取り戻し始め、映画館も少しずつ以前の姿が見られるようになってきた。イオンの折込ちらしには映画館のタイムテーブルが掲載されているのだが、緊急事態宣言中は掲載を中止して1ヶ月の休館を余儀なくされたため、常連さんの中には映画館が無くなってしまったのでは?と心配される声も上がっていたそうだ。最近になって折込ちらしの掲載が再開すると「まだやっていたのね!」と安堵の声が上がっていた。それでもお客様の中には、今だに換気や消毒についての問い合わせも多く、その際は丁寧に説明する事で安心して来場される方も増えた。まだコロナ以前とまでは行かないまでも劇場の取り組みが少しずつ浸透して客足も戻りつつある。やはりお客様とはコミュニケーションを丁寧に取る事が大切なのだ。こうしたお客様の不安を払拭出来るのもスタッフとお客様との距離が近いアットホームな映画館だから成せる事なのであろう。「完全に昔のようにならなくても、徐々にでも気が向いた時に一人で訪れたり、お友達と誘いあって映画の後お食事して帰られる…そんな皆さんにとって憩いの場に戻りたいですね」(2023年9月取材)


【座席】 『シネマ1』208席/『シネマ2』135席 【音響】『シネマ1』SRD・SRD-EX/『シネマ2』SRD

【住所】千葉県野田市中根36-1 イオンノア店 【電話】04-7125-8480

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