大阪で一番、ディープでファンキーでポップな街…新世界。昭和31年に開業した二代目通天閣(初代は戦時中の統制下、鉄材供出のために解体される)のお膝元で、誰もが分け隔てなく楽しめる一杯飲み屋や串カツ屋が建ち並ぶ庶民の街だ。戦後、空襲で壊滅状態にあった街をいち早く復興して、昭和22年にはジャンジャン横丁の開業に伴い、6つの映画館が営業を開始。最盛期の昭和30年には、ここ浪速区に12館、隣の阿倍野区に10館もの映画館がひしめき合っていた。高度経済成長期の新世界は労働者の街として栄え、22館あった映画館も男性客を対象とした娯楽作品の二番館、三番館として低価格の興行を行っていた。

通天閣のすぐ近くで、鉄筋三階建ての二番館『新世界国際劇場』(創業時510席)と、名画座『新世界国際地下劇場』(創業時280席)が興行を開始したのは昭和25年6月のこと。前身は、昭和5年に竣工した芝居小屋『南陽演舞場』だったが、戦後、大衆娯楽が芝居から映画に変わるといち早く映画館に転向。狙い通り、日本映画と洋画を混在したプログラムには多くの観客が詰めかけた。「京都に演舞場ってあるでしょう?ああいう感じの芝居小屋だったんですよ」と語ってくれたのは支配人を務める冨岡和彦氏だ。「映写室を新設したけど、基本的には芝居小屋から殆ど内装や外観は変わっていない。勿論、ちゃんと補強をしていますよ」大正末期から流行したアール・デコの装飾が施された創業当時の建物に、道行く観光客は足を止めて見上げる。


昔と変わらず洋画の三本立て興行を行う『新世界国際劇場』は、二階席がある貴重な映画館だ。左右が迫り出すコの字型の桟敷席があるのは芝居小屋からの名残。昔から通い続ける常連客が多く、アクション映画が好まれてる。昭和50年代後半から成人映画に転向した『新世界国際地下劇場』では、新東宝・新日本映像・大蔵映画を三本立てのブルーレイ上映を行っている。入口には、今では珍しい大きな絵看板が掲げられているのも名物となっている。「昔は3階に工房があって、雇っていた職人さんが絵看板を描いていたんだけど、不景気になってから外の絵看板屋さんに任せるようになったんです。今、看板を描いている人は、昔から看板を描いて来た人の息子さんで、親父さんの後を継いでいるんですよ」正面のショーケースに飾られるロビーカードを眺めて気に入ると入口にある自動券売機で入場券を購入したお客さんがお目当ての場内へ消えて行く。ちなみにそこに貼られている謳い文句は、作品が入れ替わるごとに冨岡氏が考えている。

一度、入場すれば朝から晩までずっといられるのが名画座の良いところ。両館をハシゴしたいという人には、割引価格の両館共通券がある。外出券も発行してくれるので、朝からアクション映画を観て、外出して食事をしてから、午後から成人映画を観る…なんてことも可能だ。それにしても、この御時世に三本立てで、入場料1000円は安過ぎる。更に成人映画は800円なのだから両方ハシゴをしても2000円でおつりが来るのだからお得だ。「ウチがこんな金額で三本立てが出来るのは、配給会社さんの理解があるから成り立っているんですよ。ウチみたいな二番館と長年のお付き合いから、色々と努力をしていただいているおかげ…本当にありがたいですよ」冨岡氏は、信頼関係が全てと語る。「本当ならば、ウチみたいな小さな映画館に貸すよりも大きなシネコンさんに力を入れた方が効率良いはずなんです。だから人間と人間の関係なんですよ。お金を出せば貸してくれる…なんて簡単なものじゃないんです」


コチラの名物はもうひとつある。昭和40年代後半から毎日、明け方の5時半まで行われているオールナイト興行だ。「昔の新世界は、労働者が楽しく飲んで騒ぐ場所で、路上で寝たりケンカなんてザラだったよ。今では路上で寝るような人は減ったけど、その代わりウチに来て場内で寝ているんです(笑)まぁ昔と比べて大人しくなったけど、面白いおっちゃんはたくさんいましたね」昔は場内でケンカが起こる事も日常茶飯事だったという。工事現場で働く日雇い労働者は、仕事道具を持ち込んで場内で寝てから現場に行っていた。「ケンカになるでしょう?そうするとツルハシとシャベルを構えて、なんだ!この野郎!って(笑)」こうした、血の気が多いお客さんを相手だから、止めるスタッフも命がけだった。それでも言う事を聞かないお客さんを追い出したり、時には警察を呼ぶ事もあったという。

常連さんも今では、騒いでいるお客さんを自発的に注意してくれるようになった。「場内で揉め事があると、常連さんが集まって、俺たちの居場所が無くなるからやめてくれ!って。時には、怪しいヤツがいるから気をつけた方がイイヨ…って教えてくれますよ。要するに他人事じゃないんです」まるで場内には、劇場側に立ってくれる常連客の自治体があるようだ。「だからスタッフも敢えて口出しをしないところもあるんです。だって、僕らよりも長く劇場に通っている人もいますからね。自分たちのコミュニティを乱すヤツは許せねぇっていうところもあるんでしょう」つまり場内は映画館の敷地内ではあるけれど、お客さんのものでもあるのだ。「今さらスタッフがどうのこうのと言うよりもお客さんの方がウチの映画館を心得ているんです。だから、僕の話しなんか聞くよりもお客さんから話しを聞いた方が遥かに盛り上がるよ」と冨岡氏は笑う。


「一度、休館の貼り紙を出したところ、閉館するのではないかという騒ぎになった事があるんです」結局1ヵ月程度で再開したのだが、その時、常連客が映画館に駆けつけたという。「夜中に劇場前に人だかりが出来てたものだから、どうしたんだって警察が来たんです(笑)そうやって、潰さないでくれって、常連さんが言ってくれてね…嬉しかったなぁ」その時、冨岡氏は、お客様が映画館を求めている限り、ウチだけの都合で勝手に潰しちゃならないと強く感じたという。「だから最後まで強気で続けて行きますよ。僕自身も、ウチの劇場が好きだしね。ロビーも場内も、お客さんが蹴って壊れた椅子も愛着があるんです」ここは様々な人間模様が繰り広げられている場所であり、言ってみればハードな“ニュー・シネマ・パラダイス”だ。「大変だったけど、そういうところが面白かったね」と振り返る。

ロビーの壁に掛けられた年季の入ったポスターの額装ひとつ取っても見事な細工が施されている。ロビーに置いている椅子や喫煙室の灰皿など、劇場内を歩いいると、そんな箇所がいくつもある。二階の桟敷席の天井から今では珍しい球体のランプの灯りが、味わい深い雰囲気を醸し出す。間もなく70周年を迎える『新世界国際劇場/新世界国際地下劇場』だが、ここ数年のレトロブームで、新世界は大きく変わった。「串カツ屋に普通に女の子が来るようになったからね。昔じゃ考えられないよ。たまに若い子たちが珍しがって来ますけど、みんなシネコンしか知らないから、三本立てって意味が分からないんだよね。一本ずつお金払わなくていいんですか?だって(笑)。そんな若い世代にこそ、食わず嫌いをせずに名画座の良さを味わってもらいたいんだよ」


初めて新世界を訪れた人には、どうしても劇場に入るのを躊躇するようだ。「でも思い切って来てもらえたら、本物の昭和を味わえるはずです。作られたものではなく、創業した昭和初期から染み込んだ空気を感じるはずです。そういうのが好きな人に、実際に足を運んで体験してもらえたら嬉しいね」

三本立ては思いがけない一本に出会えるのが魅力だ。ネットの評価を見ないで、ぶらっと来て、ポスターと宣伝文句を見て、面白そうだったら入って、面白くなかったらダメだったわ〜って出て来れば良い…ただそれだけの事なのだ。「とにかく僕は面白い映画をやりたいだけ。映画文化の灯を守り続けて…なんて立派な事は言えないからさぁ」と笑い飛ばす冨岡氏は、最後にこう締めくくってくれた。「ウチでやっている映画を面白そうだと思って来てくれるお客さんがいれば、それだけで満足。堅苦しい事言わずに、映画観たいなと思って来てくれればそれでイイの。僕は、映画文化を支えるとか大層な事は言えないけど…ホンマに良い映画をやっている自信はあるから、楽しんでもらえたら嬉しいね」(2018年1月取材)


【座席】 『新世界国際劇場』300席/『新世界国際地下』200席 【音響】『新世界国際劇場』DS

【住所】大阪府大阪市浪速区恵美須東2-1-32 【電話】06-6641-5931

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