都会の喧噪から少し離れて…海からの風が心地良い湘南・鵠沼。藤沢で小田急江の島線に乗り換えて、ふたつ目の鵠沼海岸駅で降りる。終点の片瀬江ノ島駅と比べると、この駅は地元の人たちの生活拠点であり、昔ながらの商店街だ。それでも海開きシーズンともなると海水浴の親子連れで賑わっていたのだが、ここ数年で、海へ向かう通りには、若者向けの新しいカフェやバーがオープンしている。ちょうど、新旧の文化が上手い具合に混在・融合して独自の街並を形成しつつある過渡期と言っても良いだろう。そんなマリンロード鵠沼商店街の一角に、良質な映画と美味しいパンをオススメの本と共に楽しめる貸本屋『シネコヤ』が、平成29年4月8日にオープンした。

「ここは映画館ではなく映画を楽しめる貸本屋なんです」と紹介してくれたのは代表の竹中翔子さん。『シネコヤ』はあくまでも貸本屋(この響きも魅力的だ)がベースとなっており、2階の上映スペースでは、毎月前半と後半でテーマを変えて、4本の映画を上映している。こちらは、貸本料として一日1500円で出入り自由…天気の良い日は外出して海まで散歩してから映画のタイミングに合わせて戻って来るのもOK。映画の後で本を読むのも、お腹がすいたらカフェでパンを食べるも…とにかく本と映画とカフェを存分に楽しめる場所なのだ。カフェでは、兼ねてより竹中さんが大ファンだったチコパン×クゲヌマというパン職人が焼いたパンを提供。「是非、チコさんにお願いしたい!と、オファーさせていただきました」と言われるだけに、乳製品などは使わず、ドライレーズンを元に酵母から起こしている自家製天然酵母のパンは絶品。珈琲は、同じ商店街にある喫茶店・香房でブレンドしてもらったもの。店内どこでも食べられるので、映画や本を読みながら楽しむ事が出来る。1階の奥にある貸本スペースには、実際に映画館で使われていた椅子が2脚あって、プロジェクターから壁に投影されているサイレント映画をボーっと眺めているのも良い気分転換になる。「もう少し映画を自由に楽しめたり、映画だけじゃない色んな目的の人たちが集まれる場所にしたいな…という思いで始めました」


竹中さんが映画の世界に携わったのは学生の頃。藤沢市内にあった映画館“フジサワ中央”のアルバイトからだった。「市内の映画館が無くなった時、かなり衝撃を受けたんです。街の映画館はどんどん無くなっていくんだな…って。なのに、藤沢から映画館が無くなっても、残念がる声は聞くけど、復活させようという動きは全くなかったんです。それじゃ、何か自分の出来る事から始めようと思ったのがキッカケでした」その時、竹中さんの胸中にあったのは、これから映画館というカタチで残して行くのは難しいのでは?という事だった。「例えば、飲食店を開業するくらいの感じで映画を観る場所を残して行けないかな…と、その時に思ったんです」映画館を立ち上げても継続出来なければ意味が無い。そこで、長く続けられる身の丈に合った規模とやり方を模索し始めたという。

竹中さんが活動を始めたのは“藤沢オデヲン”が閉館した2年後。当時、手伝っていたNPO法人事務所の物置を借りてパブリックドメイン作品の無料上映会を月に2回行っていた。「10席ほどのパイプ椅子を並べて、本当に内内をちょっと広げた感じの上映会でした」ゲストに小山明子を迎えて、大島渚監督の“戦場のメリークリスマス”と“少年”を上映するなど精力的に活動されていたが、その事務所が火事で全焼していまい、しばらく休止状態に。それでも竹中さんは常設店舗展開へ向けNPOから独立して活動を再開。新しい場所を探すにしても自分のイメージを説明するのはすごく難しい…そこで知り合いのイラストレーターに自分のイメージを絵にしてもらった。そして、その時に出逢ったのが、鵠沼にあるレンタルスペースIVY Houseだった。「洋館風のダンスホールだったその場所が、すごくイメージに近かったんです。ちょうど、運営されている方も、ここで映画をやりたい…と考えていたらしく、そんなところに私が現れたので、是非、一緒にやりましょうってなったんです」


最初は不定期だった上映会も徐々に回数を増やしていき、作品のコンセプトによって上映会の名称を「隠れ家シネマ」と「鵠沼シネマ」に分けた。ミニシアター系を中心に構成した「隠れ家シネマ」では、映画のイメージに合わせた食べ物を提供したり…作中に出て来るアイテムを場内に忍ばせたりと、遊び心満載のイベント上映を行っていた。もう一方の「鵠沼シネマ」は1950年代から60年代の古い映画を中心に、昔の喫茶店で出されていた懐かしいメニューを提供していた。約4年ほど続けた上映会によって、竹中さんは「この時の経験から、映画館ではなく、もっとラフなスタイルでご飯食べながら映画観る事を面白がっている人たちが結構いるんだ…と確信しました。改めて私が最初に考えていたやり方でやってみたい!と思ったんです」

そして、昨年の2月…竹中さんは運命的な出逢いをする。それが、カンダスタジオだった。「完全に一目惚れでした。オープンして、こういう場所が欲しかった…と、言ってくださるお客様が多かったのが嬉しかったですね」という竹中さんは、貸本屋というスタイルに、懐かしむお客様と、新しいと感じるお客様がいる事を、とても興味深く捉えている。「これからの映画館は、娯楽を追求するシネコンと、芸術性を追求する美術館的な施設に二極化されるのではないでしょうか。私はその間を行く何かが必要だな…と思うんです」その間の何か…とは、映画のハードルを低くして、もっと生活の身近なところに感じてもらえる施設だ。「そう考えた時に、もう映画館という枠組みに捕らわれる必要はないんじゃないか…って。大事なのは、映画文化が街から消えずに人々の生活に近い所に居続けられる事だと思うし、それが『シネコヤ』のやりたい事なのです」


『シネコヤ』では、毎月前半と後半でテーマを決めて、それに沿ったオススメの本と、その本の世界をより深く味わえる映画(各2作品)を組み合わせて上映している。ここを訪れたら忘れずに毎月発行されている「シネコヤ新聞」を貰って帰ろう。無料とは思えないほど充実の内容で、その月のテーマの本と映画を丁寧に紹介している。ちなみに7月後半のテーマの“1950年代〜60年代 モダンジャズ”は、初心者にも優しいジャズ入門編となっており、館内のレトロな雰囲気とジャズの調べがマッチしていた。毎回、テーマと上映作品は全て竹中さんが考えている。「テーマは、シネコヤで大切にしたい事や伝えたい事を念頭に考えています。本や映画からインスピレーションを受けながら、私個人の価値観も乗せてしまってますが(笑)」スケジュールに追われつつ楽しみながら考えているそうだ。


以前は写真館だったカンダスタジオの建物と内装は、出来るだけそのまま残し、インテリアも当時の内装に合わせて竹中さんがセレクトするなど随所にこだわりを見せている。開店は朝10時。受付で一日利用券を購入する。まずは2階に上がってお気に入りの席を確保。本人に限り席の取り置きが可能というのが嬉しい。二人掛けソファや一人掛けの椅子から選ぶのも楽しみだ。とりあえず最初の回は最後尾の椅子を選ぶ。上映までの待ち時間、本棚に並んでいる本をあれこれ物色していると、あっという間に過ぎてしまう。1階のカフェでご自慢のあんぱん(シネコヤの焼き印入り)と珈琲を購入して席につく。椅子の前にはテーブルが置かれているのが嬉しい。2階のホワイエは、上映フロアと扉で仕切られていないため、上映中ロビーでのおしゃべりは厳禁。午前の映画が終わる頃、丁度、カフェはランチタイム。ゆっくりお昼を食べ終えたら、良い具合に午後の上映が始まる。本を読みたい…という逸る気持ちを抑えて2回目の映画を観賞する。本棚には映画関連の書籍に留まらず、何だこれ?と目を惹く装飾をしているコーナーもある。「スタッフがオススメする本を各自でブースを作ろうという試みをしているんです。ただ本を集めて並べています…ではなく、本の展示を通して思いを伝えているんです」利用者としては、やりたいことが多くて悩ましい限りだが、さすが常連さんは、映画は朝と夜の回を観て、真ん中の日中はゆっくりと本を読んだり、外出して海岸まで散歩されるとか…次回は、そうしてみたいと思う。

15年ぶりに、この街を訪れて雰囲気が変わった事に気づく。以前よりも街の一体感…のような空気を感じるのだ。昔はサーファーとお年寄り…と、世代が分かれており、生活圏が分断されていたからだろう。ところが今は違う。その両者が集まる店が増えているのだ。「映画って(本とか音楽もそうですけど…)水や食料と違って、無くても生きて行けますよね?でも、それがあるからこそ人生が豊かになると思うんです。癒されたり、時には落ち込んだりする映画を観て、暮らしが豊かになる。だから『シネコヤ』は、自分自身と向き合い、原点に帰れる場所になりたいです」つまり、個人の人生が豊かになれば、そういった場所がある街も豊かになる…という事だ。どんどん商店街のシャッター通り化が進む中、ここらで立ち止まって大量生産時代に逆行した選択肢を考えても良い時期だと竹中さんの話しを聞いて思う。こうした温度感のある店舗や施設をどのように活かし、残していくかというのは街の課題だ。(2017年7月取材)


【座席】 一人掛け椅子12脚・二人掛けソファ2脚

【住所】神奈川県藤沢市鵠沼海岸3-4-6 【電話】0466-33-5393

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