かつて旧日光街道の宿場町だった北千住。駅前では平日の昼間からほろ酔い気分のおじさんたちが闊歩していたディープな街というイメージも今は昔のこと。JR線・私鉄・地下鉄4路線が乗り入れる下町最大のターミナル駅として再開発が進み、最近では住みたい街ランキングの上位に名を連ねるまでになった。だからといって本来の北千住らしさまで失ったわけではない。西口を出てすぐ…昔からある飲み屋横町は今も変わらず、明るいうちから営業している立ち飲み屋には多くの常連が早々に酒盛りを始めている。さくさくに揚げられた串カツや絶妙な焼き加減の焼き鳥など、食通を唸らせる肴をリーズナブルな価格で提供し、更に1000円出せばベロベロに酔っぱらえる…いわゆる千ベロの店が多いのもこの路地が愛される所以だ。近年では、敢えてこの路地に小さな店を構え、創作料理を提供する意欲的な若い料理人も多くなってきた。そして、飲み屋横町と平行して走るのが、地元住民の生活拠点である北千住ほんちょう商店街。西口から南へ続く300メートルほどの商店街には、下町らしい総菜屋や雑貨店が軒を連ね、夕方には晩ご飯をおかずを求める主婦で賑わう。

その商店街を抜け切ったところに、地上22階(地下1階)の東京芸術センターがある。ここは元々、旧足立区庁舎の建物があった場所で、再開発にあたり行われた建築のコンペティションで落札した(株)村井敬合同設計が、複合文化施設として立ち上げた。最上階にはリサイタルや展示会などが開かれる多目的ホールを有し、低層階には絵画や彫刻を展示する美術館と本格的な撮影スタジオがある。こうした施設に加え、ハローワークも入っているため公共施設と思われが、コチラは代表である村井敬氏主導の元で運営されているれっきとした民間施設だ。その2階…広いロビーから一直線に延びるレッドカーペットが敷かれた階段を上がったところに2006年4月1日に、アレクサンドル・ソクーロフ監督の名作“エルミタージュ 幻想”をこけら落としにオープンした映画館『シネマ ブルースタジオ』がある。基本的に上映作品は国内外の旧作を中心とした名画座で、年間上映される20作品の殆どが35ミリのフィルム上映(一部DLPプロジェクターによるブルーレイ上映)で行われている。


1階の自動券売機でチケットを購入して場内に入ると…まず驚かされるのはホールの広さ。全席が可動式となっており、座席を移動すれば映画スタジオとして活用出来る。更に幅が10メートル程のスクリーンでは、迫力の映像を堪能出来るため、前3列はスタッキングチェアであるにも関わらず、毎回、最前列で観られる常連さんもいるとか。逆に最後尾の席を好んで座る人は、大きな映写窓からフィルムを操作している様子を見たいというマニアだ。「お名前を知っているほど、常連のお客様が多いです。作品が替わるたびに観に来てくれますし、気に入ると何回もご覧になるんですよ」また、ここでフィルム上映をやっていると聞きつけて遠方から来られる方も多い。

北千住はしばらく映画館が無い街だった。創設時から変わらないのは採算が取れなくても、文化的に価値のある作品にこだわって紹介するというスタンスだ。今でも観終わったご年輩の方が、“昔、映画館で観た名作を久しぶりにスクリーンで観せてくれてありがとう”とか、“もう観る事は無いと思っていたけど、また観られて嬉しかった…”などと、口々にお礼を言って帰られる。そんな光景を見ると、単純に損得だけを考えた映画館ではないからこそ得られる言葉だと思う。時には下町だから任侠映画もやった方がイイのでは?と、お客様から指摘される事もあるというが、今のところ、そこまでは振り切らず、文化として振興出来る作品を送り続ける姿勢は変えずに続けて行かれるそうだ。作品の選定は専任スタッフが調査をした上で、上映出来そうな作品を会議に挙げて決定している。そんなスタッフが頭を痛めているのはフィルムで残っている作品が少ないという事。仮にあったとしても上映権が切れており、手配が出来ない事が多いそうだ。やはりフィルムの保存には倉庫代などの維持費にお金が掛かり過ぎるのが現状で、なかなか契約更新が出来ないという問題があるのだ。勿論、今後また権利が復活する事もあるそうなので、そのタイミングで上映が出来たら…と期待を寄せる。


フィルムについて、こんなエピソードを紹介してくれた。「去年、アラン・ドロン特集で“太陽はひとりぼっち”をやったのですが、フィルム缶を開けたら、それまで上映した劇場のチェック表が入っていたんです。そこに書かれていた今はもう無い映画館の名前を見つけた時は、作品の歴史が缶にも詰まっているんだなぁと思いました」また、フィルムを繋ぎ合わせる時に接合部を少し切るため、映画館を回った数が多くなるとちょっとずつ短くなっている。聞いていた尺よりもちょっと短かったり、逆に長かったりする時もあったり…そういう誤差から映画も変化していると感じるという。「黒澤明監督のフィルムを開けた時なんか、僕は敬虔な気持ちになりますね。何十年も回り回って全国を巡って来たのが今ココにあるわけですから…」現在、映写を担当されている技師さんの言葉が印象に残る。

お客様の層は、現在の最多動員記録が“ひまわり”だった事からもお分かりの通り、日中は年輩の方がメインとなっている。ただ最近では休日と平日の夜の回(19時スタートというのが社会人にはありがたい)に関しては、少しずつ若い方も増えているという。もっと若い世代にフィルムで映画を観てもらいたいから…と、今年に入ってからはかなり振り切った作品にもチャレンジしている。例えば、旧作の中でもややエッジの効いたロイ・アンダーソン監督特集からスタートして、そこからソフィア・コッポラ監督特集へと続く。「今までのラインナップから随分と毛色が違うので、いつも来ていただいているご年輩の皆さんは戸惑われているかも知れませんが、でもこういう映画も是非、観て下さいってお誘いしているんです。実際にご覧いただいた方は楽しんでいただけたようですよ」また、近隣に大学が増えているので、学生にももっと足を運んでもらいたいと言う。「若い人はソフィア・コッポラの名前は知っていてもDVDでしか見た事が無かったりする。フィルムを知ってもらいたいので正に今回の特集はそういう意図でした」

また、コチラでは映像制作の支援にも力を入れており、隣には映画やCM撮影が出来る巨大なホワイトスタジオがある他、『シネマ ブルースタジオ』では毎年、自主映画のコンペティション“映像グランプリ”というイベントが開催されている。作品のテーマは自由でDVD素材であれば誰でも応募が可能だ。1ヵ月ほどの一般公開審査を経てグランプリに輝けば、何と!100万円の賞金が授与される。賞金はともかく自分たちが作った映画を大スクリーンで観てもらえるという貴重な体験に、毎回100作品が集まるという。


「人間がよって立つ社会を大切にする。」これは、東京芸術センターを設計した(株)村井敬合同設計の経営理念だ。また社名に合同という名前を加えた理由として「建築物とは、市民、建築主、設計者の合作である」からだとも説明されている。これは正に映画館も同じではないだろうか?映画館という空間で、観客、作り手、興行主の思いが合わさった時に初めて素晴らしい映像体験が出来ると思う。そのどれかが欠けても映画は本来あるべき力を発揮出来ないのだから。

最後に劇場担当者はこう述べてくれた。「映画館で映画を観るという事は、天気や交通状況など、その日、映画館に行くまでの景色を引っ括めて、映画の体験だと思うんです。満席なのかガラガラなのか…場内の様子によって同じ映画でも違って見える。そんな温度差だけでも映画の感じ方が変わってきますからね」だからこそ映画館に出掛けてフィルムで上映されている映像を観てもらいたいと語る。いくらデジタルで色や音が良くなっても、作品の中に納められている先人が到達した映像をフィルムで観るという行為は、映画の原初体験…と言っても良いのではないだろうか?暗闇の中でフィルムの映像が映し出された時、まさに敬虔な気持ちで姿勢をただしてしまった。「そういう感覚を継承する場にしたい。だから、フィルム上映は出来る限り続けて行きたいですね」(2017年3月取材)


【座席】 294席 【音響】SRD-EX

【住所】東京都足立区千住1-4-1東京芸術センター2F 【電話】03-5354-4388

  本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。(C)Minatomachi Cinema Street