東急東横線とJR南武線・横須賀線3線が乗り入れる川崎市中原区にある武蔵小杉。住みたい街ランキングで上位に入るこの街は、急速な発展と共に超高層マンションが建ち並び、お洒落なカフェが通りを彩る。かと思えば駅の反対側には昔ながらの飲み屋街があったりして…新旧の文化が見事に融合されている。そんな武蔵小杉駅前からバスで10分ほど…市民ミュージアム前のバス停を降りると、明らかに風が変わったのを感じた。多摩川から旧河川敷に広がる緑豊かな等々力緑地を抜けて届いた風はとても心地良い。広大な緑地内にはJリーグ川崎フロンターレのホームスタジアムや各種運動施設を有し、敷地内の公園は家族やカップルが四季折々の自然に触れ合える憩いの場でもある。その一画に、昭和63年11月「都市と人間」という基本テーマを掲げて開館した複合文化施設『川崎市 市民ミュージアム』がある。そこは、川崎の成り立ちと歩みを様々な角度から紹介する博物館と、近現代芸術として誕生したアートやサブカルチャー等を展示する美術館から構成されている。その中で、シネマテーク(映画・映像部門)にて運営されている『映像ホール』で特集を組まれる作品群は、個性的でユニークな視点の構成が高く評価され、創設から28年の間、目の肥えたシネアストからも常に根強い人気を誇っている。

入場料金は一般600円…映画の上映は、週末の土日と休日の1日2回(現在は午前と午後)だけ。もう少し本数を増やして欲しいという声も上がっているというが、電車とバスを乗り継いで来たのだから、ココでは映画の梯子なんかするよりも、ゆっくりと映画に向き合ってもらいたい。せっかく都心の映画館には無い自然があるので、午前の回を観た後は、晴れた日にはお弁当を持参(駅で準備する事をオススメする)して、ぶらりと公園を散策して午後の回を観る…なんていうのも良いだろう。雨の日だって、日ごろ足を運ばない博物館を覗いてみたり…タイミングによっては、上映作品と連動した企画展を開催しているので、きっと映画の世界も広がるはずだ。初めての方は、是非『映像ホール』ロビーにある過去のリーフレットを見て欲しい。現存するバックナンバー全てが陳列されており、それを眺めているだけであっという間に待ち時間も過ぎてしまうだろう。またロビーには、川崎市内にあった映画館“川崎国際劇場(平成9年11月閉館)”で長年使われていた富士セントラル社製の35ミリ映写機と、記録映画作家の土本典昭氏が愛用していた16ミリフィルム編集機が展示されている。勾配のある場内はどこからでも観やすく、イタリア製のシートに深々と腰をかけると背もたれが身体を包み込む心地よさがある。ステージが広く最前列でもスクリーンを見上げる事がないためか、前の方に人気が集まるようだ。


特集や上映作品の選定を行っているのは学芸員で映画主任を務る森宗厚子さんだ。森宗さんが特集を考える時、念頭に置いているのは、一般の映画館では出来ない作品である事。「シネマテークの施設ならではの文化的な価値がある映画を選んでいますので、幅広い層に観てもらいたいと思います」と語ってくれた。勿論、公立の文化施設ならではの制約もある。「まず前年度に年間スケジュールを出してから、次年度の予算が組まれるので、自由に企画を変更出来ないのです。だから、監督や俳優さんが亡くなっても、すぐに追悼上映が出来ないのが残念ですね」ただ、通年で特集を考えられるので、全体を俯瞰で見ながら計画を立てられるメリットもある。お客様の層としては、川崎市内在住の年輩の方がメインだが、全国で4〜5館しか上映されなかった作品が掛かる時には、都内近県からシネフィルも多く訪れるそうだ。「ご年輩の方は、都内の映画館に行くよりも郊外の公共施設という安心感がある事と、タイムテーブルがシンプルなので利用しやすいのかも知れませんね」

シネマテークとはフランス語で、フィルムや資料を収集・保存・上映する事で映画遺産を守る施設を指す。コチラでは戦後の独立プロダクションが製作した作品を中心に、35ミリフィルムを約430作品(内、上映プログラムとして組める長編は約250作品)、16ミリフィルムを約2000作品を収蔵。中にはココにしかない希少価値の高い作品も多く、ATGやレン・フィルムは殆ど全作品が揃うなど、遠方からも足を運ばれるファンも少なくない。「作品選びも私個人の想いというより、映画を観に来たお客様が続けて来ようと思えるような流れを大切にしています。重要視しているのは、他では出来ない事や珍しいもの…この一年は所蔵フィルムを出来るだけ活用する事を心がけていました。所蔵作品の中でも上映される機会が少なかった作品を掘り起こしたり。おかげで、お客様から何か変わった事をやっている…という声が、少しずつネットに上がって来たのは嬉しいですね」


過去の特集上映のタイトルと作品を見ても他所のレトロスペクティブとは違うユニークな切口が多い事に気づく。例えば、山本薩夫監督や撮影監督・宮島義勇を特集するにも、『東宝争議の主役たち』と括ったり、『にっぽん風土記』と銘打って日本の自然を背景に描いた独立プロの作品をラインナップするのだから面白い。勿論、ネーミングだけではなく作品のチョイスも楽しく、平成20年の正月には『必殺の世界』と銘打って中村主水で御馴染みの仕事人の映画を集めたり、最近では、6月に行われた『社会派エンタテインメント』は、骨太のドラマでありながら娯楽性の高い作品を集めるユニークな内容であった。また、『川崎市 市民ミュージアム』ならではの企画として、川崎ゆかりの映画人特集というのがある。脚本家・井手雅人の特集には、再映の機会が少ない作品や、坂本九特集では代表作12作品を上映。また、実相寺昭雄監督特集では、映画だけではなくウルトラセブンや怪奇大作戦といったテレビの名作を上映している。商業映画に限らず8ミリ映画やテレビドキュメンタリーに焦点を当てたり、平成14年にアートギャラリーで開催された映画美術のイメージ画展『夢幻礼讃 美術監督・木村威夫の世界』と合わせた特集上映なども他所では真似出来ない魅力のひとつだ。

こうした貴重な作品をフィルムで観る事が出来るのはファンにとってありがたい話しだが、その分スタッフの苦労も計り知れないものがある。シネマテークにはフィルムの補修と上映事前のプリントチェックを専門技術者に依頼していることにより、フィルムの状態が良いものが多い。「レン・フィルムの作品は映写しながら、そのクオリティーの高さに感動しますよ」と、語ってくれたのは7年前から映写技師を務める神田麻美さん。特にフィルムの良さを感じるのはフォーカスを合わせる時だという。「私はフォーカスを合わせる時フィルムの粒子を探すんです。白黒フィルムなんかピントが合った時に粒状性が何となく見える瞬間があって、その時に奥行きがワッて広がるんです。階調が豊かなフィルムだからこそ、そういった空気感を表現出来るんでしょうね」勿論、経年劣化でフィルム自体が縮んでいたり、特に、映画会社から借用した上映プリントで消耗が激しいものの場合は、途中で切れてしまったりというトラブルは付き物だ。「昔は滑りを良くするために映写技師がフィルムに油を塗っていたのですが、アチコチの映画館を回って来て、油でベタベタになっているフィルムもあるんです。その油が映写中にフィルムを揺らしたりとか…ちょっと悪さをしてしまうんです」そういう時、神田さんは、フィルムのゲートの圧力を変えたり、時には指でずっと押さえていた事もあったという。「そんな時は映写機に付きっきりで…(笑)こうしたトラブルをフィルムの劣化状態に合わせて映写で調整をする術をココに来て初めて学びました」



勿論、所蔵フィルムは現状のまま保存するため、繋ぎ合わせる事は御法度。1巻1巻を2台の映写機で切り替えて上映している。古い作品になると1000フィート巻(約10分)のものが多く、2時間以上の作品だと14巻になってしまう。それらの所蔵作品の中でも忘れられないのが、“セレベス 海軍報道班員の報告 記録版”という戦時中、インドネシアのセレベス島を日本の統治下に収めた時の様子を撮影した国策の記録映画。寄贈された可燃性のネガを4年近い歳月をかけて不燃化作業を行った3時間にも及ぶ貴重な作品だ。「言ってみれば当館秘蔵の作品でもあるので、18巻のフィルムを繋ぎ合わせる事をせずに3時間付きっきりで、10分おきのフィルムチェンジ…体力も使いますし、その間は気が抜けないですからね」今まで3回上映しているが、神田さんが失敗したのは1回目だけ。「その時は、集中力が切れてしまって、セッティングした時に外したレンズを戻すのを忘れて、フィルムが切り替わった時に何も映っていないのが、時間にしたら4〜5秒くらいあったんです。それが自分の中で悔しくて、だから2回3回目の時は、その時の失敗をいつも思い出して上映しています」

シネマテークでフィルムの収蔵を始めたのは、開館準備時点での収集も含めると今から30年ほど前。保管には細心の注意を払い、カラー作品は当時のまま鮮明で、白黒作品は傷が無いものが多い。去年、原一男監督をゲストにお招きして、“ゆきゆきて、神軍”を上映した時の事を今でも忘れられないと森宗さんは語る。「元々、原監督は16ミリで撮影(劇場公開は35ミリのブローアップ版)をされていたのです。流通しているのは使い回された35ミリのフィルムなのですが、ココに保管されているのは、原監督の独立プロダクションから直接購入した16ミリのフィルムだったのです。しかも今まで3〜4回しか上映していなかったので鮮明で生々しい映像に驚きました」今年4月にはデジタルを導入して、GWのデジタル上映“ポーランド映画祭”に多くのファンが訪れたという。これから作品や特集の幅が増える事が期待されているが、勿論、フィルム上映が9割を占めている事からも歴史的価値を求めるファンも多い。「昔、消耗品として扱われていたフィルムも今では貴重な文化財。デジタルで上映された映画しか知らない新しい世代にもフィルムで映し出された映画を楽しんでもらえたら…と思います」体験としてスクリーンで映画を観賞してもらいたいと、森宗さんは最後に付け加えてくれた。(2016年9月取材)


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