大阪のシンボル通天閣。眼下には通天閣を中心に同心円を描くように広がる街“新世界”。幾重にも連なる商店街には大衆向けの食堂や娯楽施設、そして数多くの芝居小屋と映画館が軒を連ねていた。明治末期、地元の財界有志が博覧会跡地であった、この場所を市から借り受けて開発…当初はパリとニューヨークをモチーフとした日本でも類を見ない新しい娯楽場を作り出そうと計画。初代“通天閣”は、まさに日本のエッフェル塔とも言える斬新なデザインを施されていた。現在の“通天閣”は昭和31年に再建された二代目─日立製作所がスポンサーとして完成した新名所には連日多くの観光客が詰めかけたと言う。今でも、“新世界”という街は時代がストップしたかのように昭和30年代のままの姿を残している。安くて美味しい定食屋、ここが発祥の地とも言える「ソース二度付け禁止」の串カツ屋の派手な看板と提灯が通りを行く人々の食欲に拍車をかける。

そして、ちょっと路地に足を踏み込むと、そこは既にアヴァンギャルドな世界…昔、日活ロマンポルノの名作と唱われた田中登監督の「(秘)色情メス市場」で、この界隈(有名なドヤ街釜ヶ崎)でゲリラ撮影を敢行、数十年以上経ても変わらない街並があることに感動を覚えてしまう。文明開化が提唱された明治時代、ここ“新世界”には、いち早く西洋文化が次々と取り入れられ、通りには街灯が灯り、ロココ調のモダンな近代建築が姿を見せた。また、劇場や公園などの施設に力を注ぎ、大正時代には関西を代表する一大興行街へと変貌を遂げる。

“通天閣”や“ルナパーク”を囲むようにして映画館や芝居小屋などが数多く建ち並んだ。明治45年には“新世界”も、ほぼ全貌が完成ハイカラな街として大いに賑わいを見せていた。
ここ“新世界”には7館の映画館が今も尚、現役でがんばっている。最盛期には14館あった映画館だが徐々に映画人口が減っていき、特に常連客の高齢化が進むに連れて映画離れが増えて来た事が一番の原因だ。とは言え、日本全国探しても名画座(二番館も含め)がこれほど密集している地域は珍しい。東京で言えば浅草だったのだが、浅草もまた映画館の閉館が相次いでいる。“新世界”はお世辞にも上品な街とは言えないかも知れない。正直言って、女性がノスタルジックな雰囲気に誘われて映画館に入ろうものなら、かなりの覚悟が必要になってくる。つい勘違いしてしまいがちだが、この界隈の映画館は場内の雰囲気も客層も昔のままだということだ。禁煙の文字が表示されているにも関わらず場内のあちこちでポッというライターの火が浮かび上がり、落ち着き無く席の移動を繰り返す。そんな妖しい映画館に慣れていない人間を“新世界”は拒絶する。忘れてはならないのは客が映画館を選ぶと同時に映画館も客を選んでいるという事実だ。
(取材:2003年7月)


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