古くからの横浜の雰囲気を現在に残す街、黄金町—昔ながらの飲み屋が並ぶ一角に、一風変った名前の映画館が建っている。かつて映画館運営のカリスマ的存在とされていた福寿祁久雄氏が運営していた『シネマ ジャック・アンド・ベティ』。昭和27年12月25日“横浜名画座”という館名(後に“東映名画座”と改名)で“陽のあたる場所”と“ウィンチェスター銃'73”にてオープン。平成3年のリニューアル時に、2館に分けて現在の形状となった。「名前の由来は双子のイメージを持った劇場を作りたかったから」と、かつて福寿氏は語ってくれた。レッドを基調とした場内の『ベティ』では外国映画を中心に上映。ブルーを基調とした場内の『ジャック』では日本映画の名作を特集上映しており、大船撮影所が閉じた時に『さよなら大船松竹撮影所特集』を組んだり、毎年8月には『横浜平和映画祭』と銘打った戦争を取り上げたかつての名作を上映…中でもユニークなのは三木のり平が急逝した時に名脇役だった故人の作品をかき集めて追悼上映を行った事。「古い映画の特集を組んでもただ懐かしいだけの企画にはしたくないんです。映画っていうものは新しいものと古いものがあるから面白い。だから古いものは徹底的に古いものを上映しますよ」




日本映画で古い作品の保存状態が悪く上映したくても出来ない作品が増えてきている中から数多くの名作を上映し続けて来た『シネマ ジャック・アンド・ベティ』だが、平成17年2月に突然閉館してしまう。戸惑ったのは従業員だけではない。横浜の映画ファン…いや全国の名画座ファンにとって、この報道はショッキングな出来事となった。“近代文化の発祥の地、横浜から名画座の灯を消すな!”と数多くの市民や団体が立ち上がり、映画館の存続に奔走した。その甲斐あって、(株)フレンダムが運営を引き継ぎ、横浜の名画座は再び息を吹き返す事となった。「しかし…一度閉館されたというニュースが伝わったため、未だに劇場はつぶれたまま…と思っている人が多く、当面の課題は映画館が再開した事を認知してもらう事ですね」と語ってくれたのは副支配人の浅井理央氏。設立当時は、館名があまりにも映画館らしくない事から、映画館と思わず通り過ぎる人も多かったというが「近所の交番でお客さんが道を尋ねたお巡りさんに“その劇場は潰れたよ”と言われたそうで…(笑)。まずはゼロからの出発だと思っています」しばらくは、浅井氏が活動を行っていた街の活性化を図る“黄金町プロジェクト”—平成17年に摘発された大岡川沿いにあった特殊飲食店(いわゆる青線)の空き店舗を健全な形で再利用して街の活性化を図るために有志で作られたグループ—が、相互連携という形で劇場運営に携わっていたが、今年の3月より正式に劇場運営を引き継ぐ事となり、新たに(株)エデュイットジャパンという会社を3人のスタッフで設立した。




「各々別の仕事を持っていたのですが…“映画館を君たちがやってみないか?”とお話をいただいた時に覚悟を決めて会社を辞めました」と、語る浅井氏だが、それまで映写機すら回した事がない全くの素人…覚えなくてはならない事が山ほど蓄積しているという。「映画館の宣伝もボランティアの人々にお願いして口コミや手作りのチラシなどで少しずつ広げています」再開された当初はワンコインシネマという500円で探偵事務所の映画を専門に上映するも成功せず、平成18年10月より以前の『シネマ ジャック・アンド・ベティ』と同様に名画座のスタイルを復活。現在は『ジャック』がムーヴオーバー館として邦画・洋画を問わず2本立興行を行っており、『ベティ』は単館系の作品を上映するミニシアターとして営業を続けている。「今までは劇場独自の企画がイマイチ出し切れていなかったのですが、今後ウチでしか出せないカラーを打ち出して行きたいです」という言葉通り、ゴールデンウィークより両館で“ヨコハマ名画特集”と銘打って横浜を舞台とした新旧あわせて2本立興行を行い、更には“レクイエム黄金町”という横浜にいた娼婦たちの姿を捉えた写真展を開催する等、徐々に新生『シネマ ジャック・アンド・ベティ』の頭角が見え始めて来た。「映画館の運営に携わって初めて、以前の福寿さんが立てていたプログラムが凄かった事に気付きました。特集の組み方や作品の回し方等々…簡単に真似は出来ませんが、街の人々から親しまれるような上映を行って行きたい」と豊富を述べる浅井氏—かつて「古いものを振り返る事に意味が無いと言われているが、時代の足跡を振り返りつつ前を見る事って必要なんだ。だからこそ、その土地の人と街の歴史を含めてこの劇場にふさわしいと思える映画を上映していきたい…」と語っていた福寿氏の言葉が思い出された。
階段を上がっていくと中央に受付があり右手に『ジャック』、左手側に『ベティ』が併設されている。ロビーにはテーブル席が設けられており待ち時間をゆったりと本でも読みながら過ごす…。珍しい事に『ベティ』は場内にトイレが設置されている(『ジャック』はロビーにあるのだが…)。昔の映画館はどこでもトイレは場内にあり、ここに来ると郷愁の念に駆られる…と、年輩のお客様が言っていた。


「やはり地元の人から親しまれなくては街の映画館とは言えないと思います。とうとう、横浜で名画座はウチだけになってしまいましたから、その責任は重大ですよ」と、語る浅井氏。以前『サンダカン八番娼館』の上映が終って一人の老婦人が目頭を押さえながら出て来て「良かった…私、何度観ても泣けちゃうんですよ…。」と語っている光景を見て、コチラの劇場がこの土地に根付いている事を実感した記憶がある。また日活ロマンポルノ時代の神代辰巳特集をやった時、女性のお客が多かったことに驚いた。女性も安心して映画館に成人映画の名作を観に来れる劇場は数少ない。最近ではDVDやビデオプロジェクターを完備している強みを活かして、営業時間外に映画を志す学生たちに劇場の箱貸しを2時間50,000円から行っている。「映像科の学生さんに自主映画を発表する場を設けてあげたい。という思いから始めたサービスです。ここから新しい才能が生まれてくればウレシイですね」…と、言われる浅野氏。最後にこう続けてくれた。「映画というのは観賞するものではなく体感するもの。だから映画館という場所は特別なんです」
今は人手が足りなく閉めている1階のチケット売り場に再び明かりが付く時は、本当の意味で劇場が復活した証しなのだ。その日が来るのを楽しみに待ちたい。
(取材:2007年4月)

【座席】 『ジャック』114席/『ベティ』138席
【音響】 DS

【住所】神奈川県横浜市中区若葉町3-51
【電話】045-243-9800

  
本ホームページに掲載されている写真・内容の無断転用はお断りいたします。
(C)Minatomachi Cinema Street