ジョン・フォード監督の『黄色いリボン』はかなり頻繁に深夜の映画放送で掛かっていた西部劇の名作である。吹替が小林昭二だったり納谷悟朗だったりフジテレビ版とテレビ朝日版が放送されていたので必然的に多かったのだろう。小学生だった私は町を牛耳る悪党と保安官がドンパチ撃ち合う『OK牧場の決闘』のような西部劇よりも「騎兵隊もの」と呼ばれるジャンルの方が好きだった。理由は砦の中で結ばれる仲間の絆が、ひとつの家族であり描かれ方が情緒的だったから。

この映画でジョン・ウェインは42歳の若さで退役間近の老兵士役を見事に演じ切っており(老け役にかけては日本の笠智衆と双璧を成す)夕暮れの赤く染まった空を背景に、砦内にある亡き妻の墓前に戦死した旧友の報告をするシーンが味わい深く泣かせる。初めて観た時、私は気づかなかったのだが、初版パンフレットに映画評論家の南部圭之助氏が寄稿している本文に妻の墓の両側に子供の墓が並んでいる事に言及されていた。ここで彼がどのような人生を歩んできたのか…に思いを馳せる。こうした演出が出来るフォード監督に感服せざるを得ない。

『駅馬車』以来、フォード監督とウェインが組んだ西部劇は8本と意外と少ない。印象としてはもっと多いと思っていたのだが、その全てが西部劇映画史に残る名作で、中でも『黄色いリボン』は最高傑作だと思う。初めて買ったEPレコードもミッチー・ミラー合唱団の主題歌だった。子供心にウェイン演じるブリトルス大尉が常に噛みタバコを噛んでいる仕草がカッコよく、よくガムを2枚重ねてモグモグと噛みタバコのように真似(さすがに唾は吐かなかったが)をしたものだ。

カスター将軍率いる第七奇兵隊がインディアンの部族連合軍によって全滅した訃報が全土に広がった直後を背景に、アリゾナの辺境を守る騎兵隊の砦で、西部劇の詩人と呼ばれるフォード監督らしく退役を間近に控えた老兵士の姿を抒情豊かに描く。物語はジェームズ・ワーナー・ベラの短編小説をベースとしたフィクションだが、各地のインディアンが部族間で手を結び一触即発の状態だった史実を巧みに交えている。

インディアンと騎兵隊の間に緊張状態が続く中で、ウェインとユーモア溢れるやり取りでホッとさせてくれるのが、ヴィクター・マクラグレン演じる酒飲みの曹長クインキャノン。毎朝上官のブリトルス大尉を迎えに来る彼は大尉の部屋にある大きな壺の中にウイスキーを隠していてそれをこっそり飲んでいる好人物だ。暴れたら手がつけられないが愛すべきキャラクターがウケて次回作の『リオ・グランデの砦』でも同じ役柄で登場していた。同じく両作品でタイリー軍曹という馬を巧みに操り見事な騎乗を披露してくれるのがフォード監督お気に入りのベン・ジョンソン。控えめながらも卓越した分析力でブリトルス大尉に進言する片腕を好演する。

観終わってふと気づく。騎兵隊の主要な登場人物たちは誰も殺していないのである。インディアンが勢いを増し、部族を越えて蜂起して悪徳の武器商人を嬲り殺しにしたりしても果たして西部劇に在りがちなガンアクションを披露しない。インディアンを倒すのではなく言葉によって殺し合いを回避しようと奔走する。ブリトルス大尉は力で抑え込んで何も解決はしないと、カスター将軍の死から理解している。だからこそ最後にインディアン側に死者を出さず何とか回避する事が出来てもブリトルス大尉は部下に対して、居留地に戻るインディアンの気持ちを傷つけないよう遠巻きに見守るように指示する。45歳の時に作った『駅馬車』から10年が経ちフォード監督も益々円熟みに磨きが掛かったようである。西部劇といえば銃撃戦が見どころであった時代に『黄色いリボン』は平和を訴えた稀有な作風と言えよう。

撮影はウィンストン・C・ホックと色彩監督のナタリー・カルマス(まだカラーが特殊だった時代ならでは)。ホックはフォード監督と共に19世紀末に活動していた西部の風景や人々の風物を描いていた画家フレデリック・レミントンの作品をイメージ。騎兵隊が進むアリゾナの風景やバッファローが群れをなす遠景などは素晴らしいカットが多く、アカデミー色彩撮影賞を獲得した。騎兵隊の躍動感だけではなく、インディアンや猟師たちが焚火を囲むような何気ない生活シーンなどを切り取った詩情豊かな作品が多いレミントンのような美しい映像によって、本作がアクション中心の西部劇と一線を画す心の琴線に触れる温かみのある西部叙事詩となった。