私が初めてスリラーという言葉を知ったのは、テレビの「日曜洋画劇場」で淀川長治先生がアルフレッド・ヒッチコックをスリラー映画の巨匠と紹介されていた事と記憶する。スリラーという言葉の定義はあるようだが、言葉の意味よりもスリラーという響きから漂う何やら薄ら寒い雰囲気が、小学生の私に恐怖を与えるには充分の表現だった。そしてスリラーはバーボンがよく似合う…これは私の自論。ちなみにミステリーにはウィスキーだ。昔、ミステリーの神様オーソン・ウェルズもニッカのCMに出ていた。大学生の頃、東京にあった名画座『自由が丘武蔵野館』で観た『見知らぬ乗客』は、まさにスリラー映画そのものと記憶する。映画が製作された同じ年の1951年に『武蔵野推理劇場』という館名でオープンした映画館で観賞する偶然に何か感慨深いものを感じる。

そしてスリラーはカラーよりも白黒の方が断然怖さが増す。最近、スリラーとホラーを混同して語る人を散見するが、スリラーはホラーと違う。スリラーには気品が必要なのだ…というのも私の自論。『見知らぬ乗客』は白黒映画だったからこそヒッチコックの代表作にして且つ名作になり得たのではないだろうか。多くの評論家の方々からも高い評価を得ている本作だが、その多くはファーストシークエンスの主人公の足下だけを捉えるギミックや小道具の使い方に注目されているが(勿論、ヒッチコックならではの手法に依るところは大きいが…)人が人を殺す時に見せる表情は陰影のある白と黒のコントラストによって、より際立っていた点は特筆すべき点である。

冒頭から間もなく交換殺人などという無謀な提案を列車の中で初めて会った男に持ち掛けるサイコとも言える悪役ブルーノを演じたロバート・ウォーカーの目を向いて首を絞める表情はヒッチコック映画史上三本の指に入る出来であった。ヒッチコックは「映画術 ヒッチコック/トリュフォー」の中でスリラー映画が成功する不文律を「悪役がうまく描かれていなければ成功しない」と語っていたのも納得がいく。すらりとした長身の出立で議事堂の階段からジッとガイを見ているロングショットは圧倒的に怖い。その悪役を終始鬼気迫る演技で見事に演じ切り、ヒッチコック映画の常連になる可能性を持っていたウォーカーだが、撮影後に病で亡くなったのが残念でならない。

もう一人の主人公は、妻と離婚協議中のファーリー・グレンジャー演じる人気テニスプレイヤーのガイ。彼の妻は素行が悪く、浮気相手の男の子供を宿しながら他の男たちと遊び歩く…今でいうビッチというやつだ。自分からガイに離婚を持ちかけながら浮気相手と別れると離婚を拒否する。そんな状況の彼に近づくのがブルーノ。彼は彼で厳格な父親を疎ましく思い、いつか殺したいと思っている。偶然、列車のラウンジで二人は出会う。そしてブルーノはガイに交換殺人の話しを持ちかける。初対面の男に殺人の話…この一件だけでもブルーノの精神が病んでいる事が分かる。「君の奥さんを殺してあげるから、僕の父を殺して欲しい…」お互いに動機がないから捕まりはしないという理屈を自信満々に力説するウォーカーの(いっちゃっている)表情が上手い。

そのとんでもない妻を演じたのが新人のローラ・エリオット。度の厚い眼鏡をかけて気の優しい夫をあざ笑う風貌が、新人らしからぬ憎々しさに溢れており感心させられた。ヒッチコックの手腕が光るのは、男友達と夜の遊園地で遊び惚ける彼女の首を絞めてブルーノが殺害するシーン。まさに首を絞めるブルーノの表情が地面に落ちた彼女の眼鏡に映るのがとても怖い。怖くて上手い。怖さの中にセンスがある。これがヒッチコックがスリラーの巨匠と呼ばれる所以なのだ。小道具を巧みに使うヒッチコックは、今回この眼鏡が重要な存在感を誇示する。もう一人、劇中に眼鏡を掛けた人物(ガイの婚約者の妹)が登場するのだが、演じたパトリシア・ヒッチコック はヒッチコックの一人娘(確かに口もとはソックリ)。彼女が事件発覚の糸口となるキーパーソンとなっており、とても印象に残る良い演技をしていた。2021年8月9日に亡くなられている。

サスペンスの女流作家パトリシア・ハイスミスが書いた原作は、人妻と百貨店の女性店員の恋愛をベースとしたサスペンスで、それをヒッチコックは大幅に手を加えて映画化した。同じ原作で映画化されたアラン・ドロンの出世作『太陽がいっぱい』の方が原作のイメージに近い。ヒッチコックは脚本をミステリーの巨匠レイモンド・チャンドラーと共同で執筆したものの、お互いの意見がぶつかり合い膠着状態が続いたたため、途中でチェンチ・オーモンドと交代したという。興味深いのは、ブルーノが妻を殺した少し前に、あまりの妻の横暴な振る舞いに激情したガイが「(妻を)殺してやりたい!」と婚約者にぶち撒けるシーンがある。ここでヒッチコックは、行動に移した男と移さなかった二人の男の二重性を見事な演出テクニックで描いている。冒頭で二人が乗る列車が走るシーンが実に象徴的で、スクリーンに映し出される分岐される線路の映像が、先に待ち構えている二人が辿る運命の隠喩となっていたわけだ。

一向に計画に乗ってこないガイに対して、次第にブルーノは執拗に「僕は君の妻を殺したのだから、君も僕の父を殺さなくてはならない」と迫ってる。とうとうブルーノが婚約者の生活圏にまで入り込んで来たためガイは殺害の実行を受け入れる。ところが観客は本気で実行するわけじゃないと分かっている。このさじ加減が見事だ。深夜の邸宅に忍び込むシークエンスが、ヒッチコックならではのユーモアに溢れており、思わず上手い!と膝を叩いた。拳銃を片手に忍び込んだガイが二階に上がる階段の踊り場に立ち塞がる大きな犬。そちらに観客の注意を引きつけながら次の仕掛けを忍ばせるあたりが実に心憎い。