2022年1月20日、ベルギーとイギリスの国籍を持つ19歳の女性が軽量小型機で5ヵ月をかけて単独世界一周飛行に成功した。史上最年少だという19歳という年齢に驚く。そのニュースで思い出すのが、そこから遡ること95年前の1927年5月21日に、ニューヨークからパリまで33時間半を掛けて単発機で大西洋の無着陸飛行を成功させたチャールズ・リンドバーグだ。そこから30年後に作られた映画『翼よ!あれが巴里の灯だ』は、リンドバーグの挑戦を描いたビリー・ワイルダー監督の傑作である。

その時のリンドバーグの年齢は25歳。若い。こうした若世代の人たちが新しい時代を築く。中には果敢に不可能に挑んで命を落とす者もいる。映画の中でもフランスからアメリカへ無着陸に挑んだ若者が洋上で行方不明になったというニュースが入る。原題の「セントルイスの魂号」は、リンドバーグが乗る飛行機の名前だが、邦題の方が断然センスがあってイイ。リンドバーグを演じたのは、当時45歳(本人よりも20歳上!)のジェームズ・スチュアート。これは少年時代のヒーローだったリンドバーグをどうしても演じたいというスチュアートの熱望だったという。

原作でも時間軸で描かれる手法ではなく、横断飛行中に独り操縦するリンドバーグの回想を挿入する構成を取っているのが、それが回想好きのワイルダーにはピッタリだった。それを2時間を越える映像にした時、物語にメリハリが付いて、結果的にはこの構成が功を奏した。多分、リンドバーグが書いた自伝を時間軸通りに映画化したならば、パリに向かって離陸した以降は、恐ろしく単調な時間を観客は過ごす事になったであろう。書籍「ビリー・ワイルダー 自作自伝」の中で、映画化するにあたり厄介だったのが、冒険家当人の書いた記録には自由裁量の余地が無いと書かれていた事からも分かる様に、活字と映像の違いが浮き彫りにされたのだ。後日、ワイルダーが「愚かな決定だった」と本作の監督を引き受けた事に対してインタビューでの返答に全てが表れている。

ワイルダー曰く「きつく固いコルセット」と表現する遊びが許されない原作を映像化するにあたり役者の動きが制限されるコクピットのシーンに、出発前に迷い込んだハエを当分の相棒として登場させる見事な演出テクニックを披露した。このハエに語りかける事で狭いコクピットに拡がりが生まれて、更にスチュアートの芝居が自然になるという効果を生む。時には彼がハエに語りかけるところに機上の孤独感を表現したり、ハエが地図の上を這うことで、そこに説明を併せてしまう…というギミックには平服せざるを得ない。ちなみに出発前に飛行場に来ていた見物人の女性から貰った手鏡のおかげで、睡魔に襲われてあわや墜落の危機を救ったというエピソードもワイルダーならではのフィクション。さすが、小道具の使い方のセンスは抜群だと感心する。

本作のタッチがソフトなのは、航空機映画からは畑違いの感があるワイルダーが監督したからに他ならない。その当時の航空機と言えば男の世界というイメージで、『コンドル』や『暁の偵察』といった骨太の航空機映画を発表してきたハワード・ホークス監督が作ったなら、もっと強面になったと思う。ワイルダーはリンドバーグの弱さを押し出して操縦桿を握る彼を決してヒーロー的に描いていないところに好感が持てる。この映画がアメリカでは受けず、日本では大ヒットしたというのも、日本人好みだったからであろう。回想シーンの多くを費やしたリンドバーグの相棒となる「セントルイスの魂号」を製作する過程で、大手の航空機メーカーではなく、西海岸にある小さな工場で職人肌の職人たちと意見をぶつけ合いながら完成させるくだりは、日本人が熱狂したTVドラマ『下町ロケット』に通じる面白さとワクワク感がある。また、重い無線機を乗せずに不完全なコンパスで予定通りのルートで目的地に辿り着く…なんてリンドバーグの選択も日本人好みではないか。

一躍ヒーローとなってニューヨークで凱旋パレードをしたリンドバーグだったが、そういうチャレンジ精神旺盛な性格から敵も多かった。とりわけ第一次世界大戦後のヨーロッパはヒトラーのナチスが台頭していた時代で、反ユダヤ主義者の保守党員だった彼に対して、多くのアメリカ国民からナチのシンパと考えられていた。