こんなに分かりやすいタイトルの恋愛映画で泣くなんて思いもよらなかった。札幌駅近くのホテルにあった名画座「三越名画劇場」でジョージ・シドニー監督の『愛情物語』を観たのが高校生の時。この時はまさかハンカチを持ち歩く習慣がなかった事を悔やむことになるとは思わなかった。それ以来、映画を観に行く時はハンカチは必ず携帯している。原題は戦前戦後に活躍したジャズピアニストの半生を描いていることから『エディ・デューチン物語』なのだが、日本ではグレン・ミラーやベニー・グッドマンほど知られていなかった事から『愛情物語』となったという。

エディ・デューチンがピアノを習い始めたのは母親からの強い勧めで9歳の頃。そのまま音楽家を目指すのかと思いきやマサチュセッツ薬科大学で薬学を専攻する傍ら、ボストンで行われたレオ・ライスマン楽団主催のピアノコンテストで1位となった。そこでデューチンは、ライスマンの経営するカジノニューヨークへと単身乗り込んだ。物語はニューヨークに意気揚々とやって来たデューチンがライスマンを訪ねるシーンから始まる。リンドバーグが無着陸飛行を成功させた時代だ。映画では、入団を誘われたと思っていたデューチンだったが、ライスマンは励ましていただけだったと分かる温度差が描かれる。いずれにしてもデューチンの大胆さを表すエピソードだ。

バンドの中で次第に頭角を表すデューチンが、ピアニストでバンドリーダーまで上り詰める様子が映画の前半で描かれるが、彼の人気が絶頂期にあったのは1930年代。ジャズの中でもスイートと呼ばれる甘美で流麗なスタイルが受けていた。中でもクラシックをポップス系にアレンジするのを得意としており、ショパンの「夜想曲(ノクターン)」をアレンジした「トゥ・ラヴ・アゲイン」はデューチンの十八番のナンバーで、この映画の主題曲として効果的に使われている。劇中、ライスマンはデューチンのピアノを「個性がある弾き方だ。いずれ世に出るさ」と称賛していたが、確かに軽やかなタッチで、アップテンポだがそれでいて上品な弾き方は耳に心地良い。

ピアノ演奏はカーメン・キャバレロが吹替えを担当しているが、デューチンを演じるタイロン・パワーも実際に弾いているシーンも多い。祖父がイギリスで有名なピアニストだったらしいので、これは血筋なのだろうか。実際にタイロン・パワーはデューチンを演じるにあたり、デューチンのバンドに6年間所属していたナット・ブランドウィンから連日のように平均7時間のレクチャーを3ヵ月間続けたという。練習法もユニークで音の出ない鍵盤を叩いて複雑な指の動きを修得したとパンフレットで紹介されている。

演奏の合間の歓談時間の繋ぎとして採用されたデューチンだったが、最初は誰も聴いてくれなかった演奏だったが、彼が出世していく過程をピアノを弾く手元だけで表現するのがこの映画の上手いところ。デューチンを助けるマージョリーを演じた『ピクニック』に続いて二作目の主演作となるキム・ノヴァクが素晴らしい。ニューヨーク社交会の花形で、デューチンの妻となるマージョリーを演じる。デビューして間もなかった『ピクニック』では演技にまだ硬さが残っていた(コロムビア映画の社運を賭けた重圧に新人のキム・ノヴァクの緊張は相当なものだったという)が、本作では堂々とエレガントな令嬢の立ち振る舞いが自然体で出来るまでになっていた事に驚いた。

印象に残るシーンがある。とんとん拍子にピアニストとして大成したデューチンがある日、社交会のパーティに招かれた。てっきり客として呼ばれたと思っていたのだが、仕事としてだったと知り落胆する。一度は帰ろうとしたがプロとして演奏を始める。そんな彼の横にそっと座って自分が幼い頃の体験談をするキム・ノヴァクから溢れる優しさに胸が熱くなった。このシーンがあるからこそ、クリスマスに彼女と死別する前半のラストで見せるデューチンが、メリークリスマス!と叫び号泣するシーンが活きてくる。

後半はマージョリーを失った悲しみから逃げるように第二次世界大戦に志願したデューチンが、戦後に再会する息子との絆を深める親子の『愛情物語』となる。祖父母に育てられた息子のピーターは、父は自分を見捨てたと思っていた。シドニー監督はあざとい程に「トゥ・ラブ・アゲイン」をクライマックスで使用して、泣かせの場面を更に一押しして涙を倍増させる。反目する息子も寂しかった事が分かり、これからという時にデューチン自身も不治の病に罹っていたことが判明。ラストに息子と一緒にピアノで「トゥ・ラブ・アゲイン」を弾いている途中に腕が動かなくなるアップ…そしてカメラがパンするとデューチンの姿が消えているという大円団の演出には、監督の手腕に感服せざるを得ない。