眩しいくらいの陽射しの中、広い空き地に設置された無數の物干し竿に掛けられた真っ白いシーツが風に揺らめく。その隙間を縫うように逃げる青年。そして、彼を追う兵士の銃弾が命中すると白いシーツが青年のどす黒い血で染まる。それでも逃げる青年…白いシーツが風に揺れるカットがインサートされる。

この『灰とダイヤモンド』を初めて観たのは高校生の時。北海高校に進学して三年間、私の担任だった恩師も映画が大好きで、私の映画好きをどこで知ったのか、映画研究部が無かった高校に「俺が顧問やってやるからお前が部長やれ」と言われ、顧問と部長二人だけの映画研究部が誕生した。そして、一番最初に観せてもらったのが本作だった。場所は札幌の繁華街にあった「テアトルピッコロ」というビル地下の客席150席程の小さな映画館で開催されたポーランド映画特集のひとつ。イェジー・アンジェイエフスキーの原作を映画化したアンジェイ・ワイダ監督の映画史に残る最高傑作だ。

小さな映画館だからパンフレットも販売しておらず、掲載の初版パンフレットは高校を卒業する頃…ススキノの古本屋で偶然見つけたもの。表紙は、荒涼としたゴミ捨て場で主人公が銃弾に倒れるラストシーンである。パンフレットには、物語の背景となる第二次大戦後、ドイツによる占領から解放され、ソ連の影響で社会主義国となったポーランドが、共産党派と西側諸国に影響されるロンドン亡命派に二分され内戦状態に陥った経緯が詳しく紹介されていた。

この銃弾に倒れる主人公マチェクは戦時中はレジスタンスとして祖国の解放のためナチスと戦っていたのだが、国家は彼らが思い描いていた方向と違う道を歩み始め、やがて敵対する共産党幹部を狙う暗殺者になり果ててしまう。主人公を演じたズビグニエフ・チブルスキーは、ジェームズ・ディーンの再来と囁かれたが、この作品以外では、あまりパッとしなかった。

タイトルは、劇中、墓銘に刻まれた詩人ノルウィドの「君は知らぬ、燃え尽きた灰の底に、ダイヤモンドがひそむことを」という詩から取っている。大戦後に次々と勃発する民族紛争を見ると、人間は絶えず敵がいないと存続できない種族なのでしょうかね?と、顧問の先生に生意気な事を言っていた。

社会主義となったポーランドでは、映画は国威高揚の手段となり、この制約に抗するポーランド派と呼ばれる若手映像作家の一人がワイダ監督で、この映画を作った時は32歳だったというから驚く。主義主張のために人を殺す事を止めようと思い悩みながらも、時代の流れに抗うことが出来ず、最後には警備兵に追い詰められ射殺されてしまう青年の悲劇は、ワイダ監督の祖国ポーランドの姿そのものだった。

実は、それまでワイダ監督作品は1950年代に実在した労働英雄ビルクートを描いた社会派ドラマ『大理石の男』と『鉄の男』を先に観ていたので、労働者主義の監督なんだとばかり思っていた。ところが『灰とダイヤモンド』を観終わって、クールなモノクロ映像に、何とカッコイイ映画を作る人なんだ!と、ひたすら興奮していた記憶がある。パンフレットに寄稿されていた映画評論家の飯島正氏が『第三の男』を引き合いに出していたが、撮影監督は『尼僧ヨアンナ』を手掛けたイェジー・ウォイチックによる夜の闇と日光の下に揺らぐシーツの眩しさ…という対比は『第三の男』に匹敵する。