「あんたも高校生になったんだからヴィスコンティくらい観なきゃダメよ」高校1年の夏休みにアルバイト先のお姉さんから言われた。イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督の名前くらいは愛読誌「スクリーン」で知ってはいたのだが、高校生には難解そうな重厚なテーマであることから、なかなか観に行ってみようという気にならなかった。ある日、地元の映画サークルが自主上映でヴィスコンティ特集をするというのでお姉さんが連れて行ってくれたのが1954年に日本で初公開された『夏の嵐』だった。淀川長治先生の言葉を借りれば「芸術を理解するには、ときに心の格闘も必要だ」というわけだ。先日、紀伊国屋書店から販売されている本作のBlu-rayを購入して40年ぶりに再見した。

オーストリアの占領下にあった19世紀のヴェネツィアが舞台。若き伯爵夫人と敵軍の若い将校との禁断の恋を描く。敵軍の協力者である夫との関係は既に冷え切っている。情熱的に逢瀬を重ねていた二人だが、やがてイタリアが宣戦布告をして戦争が激化すると将校の心に変化が現れる。ハリウッドの娯楽映画ばかりに熱中していた僕が初めて触れたヨーロッパの大人の映画だ。若き青年将校との禁断の愛に翻弄される伯爵夫人を演じたのは当時32歳の円熟味を迎えていたイタリアの名女優アリダ・ヴァリ。彼女を虜にする敵国の若き将校をファーリー・グレンジャーが扮している。二人が月夜に照らされる運河沿いを歩くシーンは今でも目を見張る出色の美しさだ。

危険な最前線へ赴く彼を救うため医者を買収して不正除隊に手を貸す。しかし、除隊に成功した彼から連絡が途絶えると、彼女は無謀にも激戦が繰り広げられる最前線を抜けて敵の陣地に入り込み彼に会いに行く。愛する男に裏切られた彼女が最後には不正除隊を軍の上層部に暴露して男を死へと導く。製作当時32歳のアリダ・ヴァリがラストで見せる表情は彼女の真骨頂と言っても良いだろう。アリダ・ヴァリと言えば、アンリ・コルビ監督のフランス映画『かくも長き不在』で演じたセーヌ河にあるカフェの女主人が印象的だった。戦前から戦後にかけて国を越えてオールマイティに様々な役柄を演じ分けられる女優であったが、アルフレッド・ヒッチコック監督『パラダイン夫人の恋』やキャロル・リード監督『第三の男』で忘れられない名演を披露するが、イタリア訛りが強かったため英語圏では成功しなかった。何と言っても印象的なのがキリッとした眼力で、1977年に公開されて全世界で大ヒットしたスプラッター映画『サスペリア』で演じた魔女が巣くうバレエ学校を取り仕切る女史役で見せた眼力は衰えていなかった。

カミッロ・ボイトの短編『官能』を原案にして『白夜』から『イノセント』まで殆どのヴィスコンティ作品を手掛けたスーゾ・チェッキ・ダミーコがヴィスコンティと協同で脚色しており、台辞協力にアメリカの劇作家テネシー・ウィリアムズが名前を連ねる。初監督作『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(初版パンフレットでは未だ日本未公開だったので原題の『妄執』と表記)から4作目に当たる本作はヴィスコンティ監督初のテクニカラー作品となるわけだが、驚くのは、製作期間に2年を費やし、15億リラ(約9億円)という当時のイタリア映画で最高額となる巨額の製作費を投じた言わば国家プロジェクトと言っても過言ではない作品を当時48歳のヴィスコンティ監督に委ねた点にある。さすが芸術に造詣が深いイタリアらしい采配ではないか。

ヴェルディの「吟遊詩人」を上演するオペラ劇場のシーンから始まるオープニングに心を奪われてしまう。カメラが舞台から客席へパンすると白い軍服を身に纏ったオーストリア兵士たちが埋め尽くす1階席とイタリアの紳士淑女が舞台を見下ろす階上の桟敷席が映し出される。細部のディテールに徹底してこだわるヴィスコンティ監督がヴェネツィア市内に再建したフェニーチェ座の場内の美術にまず驚かされる。ヴィスコンティ監督が常日頃から「観客に常に信用できる映画を見せる」ことに重きを置いていた信念の現れとも言えるだろう。舞台で絢爛豪華なオペラが繰り広げられる中、「外人は帰れ!」という怒号と共に桟敷席から降り注ぐ解放運動家たちのビラ…この数分の冒頭から、本作が間違いなく傑作であることを確信する。もうこうなってくると内容が難解だろうと関係なく、スクリーンに映し出される映像美に、高校生の僕は最後まで圧倒されっぱなしで、あっという間に上映時間は過ぎてしまった。