ラースと、その彼女 LARS AND THE REAL GIRL
雪が降り積もる小さな町で起きた、ラースと“ビアンカ”の心温まる軌跡のリアルファンタジー

2007年 アメリカ カラー ビスタサイズ 106min ショウゲート配給
制作 ジョン・キャメロン、サラ・オーブリー、シドニー・キメル 監督 クレイグ・ギレスビー
脚本 ナンシー・オリバー 撮影 アダム・キンメル 編集 タチアナ・S・リーゲル
美術 アーヴ・グレイウォル、キルストン・マン 音楽 デヴィッド・トーン
出演 ライアン・ゴズリング、エミリー・モーティマー、ポール・シュナイダー、ケリ・ガーナー
パトリシア・クラークソン

2008年12月20日(土)より 渋谷シネクイント、シネ・リーブル池袋ほか全国ロードショー公開中
オフィシャルサイト http://lars-movie.com/


 オリジナル脚本が不足し、過去作品のリメイクや続編が増えている現在のハリウッド。しかし、そんな現状をものともせず、どこにもないオリジナリティ溢れる一遍が誕生した。『きみに読む物語』で注目を浴びた若手実力派俳優ライアン・ゴズリング待望の最新作となった本作は、感情の迷路をさまよい続けて人生を謳歌できないでいる青年・ラースと彼をとりまく人々のセンチメンタルで可笑しな交流を描いた心温まる物語である。“リアルドール”に恋をする青年…という突拍子も無いテーマのため、映画の完成には実に3年の年月を要した。監督を務める新進気鋭のCM作家クレイグ・ギレスビーは「初めてメガホンを取るのにこの作品以外は考えられない」と決してあきらめず、その熱意は2008年度アカデミー賞オリジナル脚本賞にノミネートされるという快挙となって表れた。この希有な物語を描いたのは本作が長編映画デビューとなった脚本家ナンシー・オリバー。個性溢れるキャラクターたちを愛し、人間的な感情に焦点を当てることで斬新なテーマにリアリティを持たせた。また脇を固めるエミリー・モーティマー、『エリザベスタウン』の好演が記憶に新しいポール・シュナイダー他、ベテランのパトリシア・クラークソンら実力派俳優たちが作品にリアルな息吹を与えている。


※物語の結末にふれている部分がございますので予めご了承下さい。
 雪が降り積もる小さな田舎町に住むラース(ライアン・ゴズリング)は、長年自宅のガレージを改装した部屋で孤独に暮して来た。そんな彼を隣に住んでいる兄夫婦ガス(ポール・シュナイダー)とカリン(エミリー・モーティマー)や町の人々は心配している。そんなラースがある晩、インターネットで知り合った女友だちビアンカを紹介したいとガスの家に訪れた。安心して喜ぶ兄夫婦だったが、それも束の間、ラースが紹介したのはインターネットで購入した等身大のリアルドールだった。突然の出来事に戸惑いラースとビアンカに、どう声を掛けてよいのか分らない二人はビアンカの健康診断と偽ってラースを医師ダグマー(パトリシア・クラークソン)に診せることにする。ダグマーは「全てはラースの妄想だが、彼女の出現には何らかの理由があってのこと。周りの人が彼の世界を受け入れることが問題の解決につながる」と助言。こうしてガスとカリンは町の人に協力を求め、一緒にラースの作り上げた虚構の世界へ付き合ってもらうことになる。町の人々は次第にビアンカを本物の女性として扱い、ボランティアの仕事や洋服屋のモデルなどの仕事を与えた。そうしている内にビアンカは町の人々に溶け込んで行き、そしてラースの心にも少しずつ変化が訪れるのだった。


 母親の死を自分の責任と思い込み、普通の交際が出来ないラースが、ネットで購入したリアルドール(日本でいうダッチワイフ?)を家族や街の人に彼女として紹介した事から巻き起こる様子を描いた本作。ヘタすると単なる危ない人の話しとなりそうな内容なのだが…。ひと昔前ならキワモノとして扱われたであろう題材が心温まるファンタジーになってしまうところに時代の流れを感じる。CM作家で本作が映画デビュー作となるクレイグ・ギレスピー監督の視線は常に温かく、雪に覆われた小さな街は、おとぎの国のようだ。映画が進んでいく内に、前述した“普通の交流”って一体何なのか?という疑問が頭をもたげてくる。自分って果たして普通なのだろうか?…なんて事は、客観的に見ない限り誰も判断しきれない。義姉は最近会話のないラースを気遣って執拗に朝食に誘うシーンが冒頭にある。彼女にとっては好意としてなのだがラースにとっては、息苦しいだけなのだ。また、誰もが口を揃えて、ラースに向かって「早く良い彼女を…」と口癖のように繰り返す。ラースは、女性に興味がないのでは…?とか、人間嫌いないのでは…?といった憶測で我々も彼を観てしまうのだが、実はそれこそが勝手に他人を型にはめようとする悪しき習慣である事に気づきハッとさせられる。
 実は、ラースは心の奥底で「彼女が欲しい…でも、人と話す事が出来ない…」という葛藤を抱いており、その結果彼が選んだのが、言葉を発する事のない人形(会話をする必要がない相手)を彼女として迎える事だったのだ。物語の中盤でラースが気になる同僚の女の子を目で追うシーンが何回も挿入される事から、根っからの人間嫌いではない事が理解できよう。言わば、ラースが人形をビアンカという名前を付けて家族や街の人々に紹介したのは、子供が大人になる前、“〇〇ゴッコ”と称する遊びからシミュレーションをしていたのと同じ事なのではなかろうか?作中では語られていないがラースは、子供の頃に体験し学ぶはずだった事が母の死と人付き合いが苦手な父、そして兄の家出によって、それらの時期が欠落してしまったのだと推測できる。ラースは、ビアンカと名付けたリアルドールに話し掛け世話をする事によって、欠落した時間を埋めるのだ。
 また、この映画はラースの変化だけではなく、彼と共に街の人々や会社の同僚たちが、ラースを見守る事で少しずつ成長していく様子がもうひとつの軸として描かれている。兄夫婦の家に「彼女ができた」と紹介するラースを観たときは我々観客も好奇の目(偏見の眼差しに近い感覚)でラースを見ていたが、街の住人たちもそれと同じ視線をラースに投げかける。次第に住人たちが、ラースに合わせてビアンカを人形ではなく普通の人として接する内に、ビアンカを介してラースと会話をしている事に気付く。印象に残るのは、会社の同僚がテディベアのぬいぐるみやフィギュアを宝物として大切にしている彼等自身も「あれ?ラースと変わらないじゃないか?」と気付くシーンだ。このシーンにしてもギレスピー監督は声高々に言うのではなくさり気なく“ほらね…”と見せている。全編優しさに満ち溢れた「大人の寓話」に終わった後、笑顔で席を立つ…そんな映画だ。

「寂しさのあまり名前の綴りを忘れる時があるわ」パトリシア・クラークソン演じる女医にラースがご主人と死に別れて寂しくないか?という問いに対する答え。誰もが心に孤独を秘めている事を表わすセリフだ。

 

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