天草パールラインで島々を渡る

 2010年4月の始めに、一通のメールをいただいた。差出人は熊本県天草市の港町にある島に唯一残る映画館『本渡第一映画劇場』の館主さんからだった。「いつもサイトを拝見しております。私の映画館は昭和20年から続いております。いつか取材にいらっしゃいませんか」という文言が綴られていた。九州かぁ…まだ一度も行ったことがないなぁ…と、せっかくの取材のご依頼をいただいたことだしGW前の空いている時期を狙って九州に初上陸した。阿蘇くまもと空港に着いたのは朝8時過ぎ。空港でレンタカーを借りて、いざ天草まで2時間のドライブを決め込んだ。本土と天草諸島に囲まれた八代海(不知火海という呼び名の方が好きだ)を左に見ながら国道を走る。春の陽射しにキラキラ反射する波が美しい。宇土半島の先端に位置する三角線の終着駅三角駅を過ぎると、いよいよ天草パールラインに入る

絶景の天草諸島を見ながら海の幸に舌鼓

 天草は、大小158もの島々から形成され、豊かな自然と温暖な気候に恵まれ、江戸時代初期にキリシタンの天草四郎時貞が指揮した一揆の舞台となった場所だ。天草は天草上島と天草下島の二つの島からなっており宇土半島から天草五橋と呼ばれる5つの橋を渡って上陸する。天草パールラインは周辺に点在する島々のうち大矢野島、永浦島、池島、前島を抜けて、天草諸島の天草上島を終点とする道路で日本の道百選に選ばれている。今回の旅は更に西へ進み天草瀬戸大橋を渡って、天草諸島の中心地である天草下島が目的地だ。途中、松島橋を天草上島に渡ってすぐのところにあるお店で海鮮丼を食べる。この場所からは八代海と東シナ海、有明海が臨め、雲仙天草国立公園の絶景を楽しめる。右上の写真で遠くにかすかに見えるのが雲仙岳だ。ここは、この三つの海に囲まれた海の幸の宝庫なのだから、どこの店でも何を食べても美味いに決まっている。いつものように、お昼は勘に頼ってお店の面構えで決めた。2000円でひらめ、鮑、鯛、ウニがてんこ盛りに入った海鮮丼(安い!)を満喫して先に進んだ。

 

簡素な旅館で寅さん気分を味わう早朝

 天草上島に入ってすぐに松島有料道路を右手に有明海を見ながら車を走らせる。海の向こうに長崎県の島原が見える。天草瀬戸大橋を渡ったところに天草諸島の中央部に位置する本渡港がある。天草市の政治経済文化の中心として栄えてきた海上交通の要衝だ。この旅の宿は、栄美屋旅館という『男はつらいよ』の寅さんが好みそうな旅館だった。部屋のある二階に上がると共同の洗面台があって、六畳ほどの部屋は何もない質素な造りだ。翌朝早く、その共同の洗面台に向かうと、とても綺麗な女性がパジャマ姿で歯を磨いていて「おはようございます」と挨拶された。いかにも旅慣れた女性の一人旅という感じで、きっと寅さんならば、ここでロマンスが生まれるのだろうなぁ…と思った。

天草・島原の乱の激戦区だった祇園橋に立って…

 この旅館を選んだのは真裏に流れる町山口川に架かる「祇園橋」がすぐ近くにあったからだ。天保3年に建造されたこの橋は石造桁橋では国内最大級であり、「多脚式」という柱状の石を橋桁ごとに組み合わせた素朴なつくりで、国の重要文化財に指定されている。ここは寛永14年に起きた天草・島原の乱で、ここから少し上流にある町山口川を挟んで天草四郎時貞を総大将とするキリシタン軍と弾圧する幕府側の唐津藩との死闘が繰り広げられた激戦地だ。町山口川を埋め尽くした屍によって川は赤く染まり、流れは塞き止められたという歴史がある。干潮時の夕方、橋の上に立って穏やかな流れの川を見ていると、かつてここが激戦地だったなんて、とても信じられない。「祇園橋」を少し上がったところに昭和10年に建てられた洋風建築の意匠が残る「天草市文化交流館」や、街のあちこちに昭和のモダン文化が色濃く残る地域が多数点在する。

街の人たちの思いで復活した映画館

 街の中心部にあたる栄町に街に唯一残る映画館『本渡第一映劇』がある。昭和20年に開業した当時は3階席を有する熊本県でもトップクラスの大劇場だったそうだ。市内には4館の映画館があったが昭和50年を境に次々と閉館していき平成元年に、とうとう『本渡第一映劇』も休館してしまい、しばらくはそのままの状態が続いていた。再び映画館に映画の灯がともったのは、天草から映画館を無くしたくないという熱烈な市民の呼びかけからだった。今では国内でも数少ないコの字の2階桟敷席が残る映画館として他県からも多くの映画ファンが訪れるようになった。映写室が2階席の後方にあるためフィルム上映の時なんか、後ろの列に座っているとカタカタとローラーの音が聴こえて実に心地よい空間だ。

取材:2010年4月