金田一耕助が歩く町を往く

 長野県は昔の映画館がそのままの姿で多く残っている映画館ファンにとって大変貴重な県である。2009年の秋に中央本線で塩尻から松本を経由して、JR篠ノ井線で長野市へと、信濃路の映画館取材旅行を行った。一度乗ってみたかったスイッチバックで急勾配の山腹を上がって行く途中、姥捨駅から見える善光寺平に広がる棚田が圧巻であった。長野駅から更にしなの鉄道で40分ほどのところにある城下町の上田市に向かう。上田は数多くの名作が撮影されてきた映画の町としても知られており、野村芳太郎や黒澤明、山田洋次といった名監督たちが数多くの名作を作り出している。中でも強烈な印象を残したのが市川崑監督の『犬神家の一族(1976年版)』であった。横溝正史が雑誌「キング」に昭和25年から翌年5月まで発表していたふた昔も前の推理小説に再び焦点を当てて、映画と書籍のメディアミックスという形で空前のヒットを記録した。

 劇中の舞台となる犬神家の屋敷がある那須市という湖畔の町は、横溝正史が諏訪湖をイメージして書かれた架空の町である。戦後間もない昭和20年代の雰囲気を漂わせる通りは、上田駅から15分程のところにある北国街道にある柳町と常田、湖はここから1時間半くらい離れた大町市にある仁科三湖のひとつ青木湖でロケが行われている。信州で圧倒的な勢力を誇った大財閥の犬神家の創始者が逝去したことから勃発する遺産相続を巡る連続殺人事件が風光明媚な田舎町で繰り広げられる。

 大野雄二が手がけた美しいテーマ曲が流れるクレジットに続いてスーツケースを片手に石坂浩二扮する金田一が登場するオープニングシーンが常田の通りであった。そこで金田一は偶然出会った坂口良子扮するホテルの女中さんに案内されて「那須ホテル」に落ち着くのだが、部屋から湖が一望出来るという設定だが、実際のホテルは、隣の佐久市にある大正14年創業の「井出野屋旅館」で、現在も当時と変わらぬ姿で営業を続けている。旧北国街道沿いを10分ほどぶらぶら歩くと、350年の歴史を持つ酒蔵や信州味噌の蔵元など、今も格子造りの家並みなど江戸時代の面影を残す柳町に出る。かつて宿場町として街道沿いには多くの旅籠や商家が軒を連ね、江戸時代には善光寺詣での人出で賑わっていた場所である。

映画館がある商店街で昭和の雰囲気を味わう

 その通りの曲がり角に、かなり年季の入った板塀を見つけた。それは「東横映画劇場」と書かれており、町に二館ある映画館『上田映劇』と『でんき館(現在はトラゥム・ライゼに改名)』で上映されている映画のポスターが掲示されていた。駅から10分ほどのところに昭和の雰囲気が今でも色濃く漂う一杯飲み屋や定食屋が軒を連ねている繁華街がある。繁華街の通りにある「上田映劇」の看板から映画館が街のシンボルであったことが伺える。『上田映劇』は大正6年創業の芝居小屋から昭和のはじめに映画館に改装したのが前身となる。現在も芝居小屋の名残りで左右が桟敷席として二階席がコの字に迫り出している。天気が良いのでメイン通りの商店街で昭和初期から営業されている「富士アイス」の店頭で上田市民のソウルフード「志”まんやき(じまんやき)」のあんこを1つ(80円)購入。買い食いしながら街をブラブラ歩く。今川焼よりもボリュームがあって、たっぷりのつぶあんが食べ応えある。ちなみに、このお店は長野県で初めてアイスクリームを提供したことから「富士アイス」という店名になったそうだ。

 

上田電鉄に乗っていざ!サマーウォーズの世界へ

 上田駅から上田電鉄別所線に乗って終点の別所温泉へ向かう。上田駅を出るとする千曲川を渡ると別所温泉まで緩急のある上田盆地を15駅、30分掛けて、のどかな田園風景の中を走る。不定期ではあるが、今でも昔ながらの丸窓電車が運行する二両編成のローカル線だ。この丸窓電車(モハ5250形)は昭和2年に製造された当時に戸袋窓が楕円形になっていたことからこの愛称で親しまれ続けてきた。丸みを帯びた屋根とダークブルーとクリームイエローのツートンのボディカラーの車両が田んぼの中を走る姿に郷愁を感じさせる。車窓に広がる塩田平は気候に恵まれ土壌が肥えていることから江戸時代から上田藩の米蔵として栄えた。また周辺には鎌倉時代から室町時代に建造された数多くの国宝や重要文化財が点在しており「信州の鎌倉」とも呼ばれている。

 上田市街と別所線沿線は、細田守監督のアニメ『サマーウォーズ』の舞台となった場所。主人公・健二が憧れる先輩・夏希の実家があるという設定で、広大な敷地の屋敷の門は上田城櫓門をモチーフにしている。映画の中でも表現されているが、車窓から見える秋の塩田平に実った稲穂と、抜けるような青空のコントラストが素晴らしかった。途中の塩田駅には遊歩百選に認定されたウォーキングのモデルコースがあり、別所温泉までの約10kmのコースを5〜6時間かけて、途中、空海によって開かれた中禅寺や常楽寺などの名所を巡ることが出来る。時間があれば、ゆっくり散策して最後に別所温泉で締めくくる…なんて最高だろうなと思った。

別所温泉街を歩いていると寅さんの気持ちが分かる

 塩田平を囲む夫神岳のふもとにある古くから涌き続けて来た別所温泉は、坂と階段の街である。駅から街に出るのも参道に行くのも幾重にも連なる坂と階段を上り下りする。大正10年に開業した頭端式ホームの別所温泉駅は、昭和25年の改築当時のままで、元は2面2線だったホームも現在は1線のみで構内にはモハ5250形の丸窓電車が保存されている。駅舎には観光案内所が入っていたので、まずはそこで資料を集めていると案内所の人から無料のレンタサイクルがあると教えてもらったので早速利用する。別所温泉といえば思い出されるのは「男はつらいよ」第18作の「寅次郎純情詩集」である。満男の美人担任の家庭訪問を滅茶苦茶にした寅次郎が反省の旅に出た場所がここだった。旅芸人の坂東鶴八郎一座と再会(「車せんしぇい!」でお馴染みの大空小百合の再登場が嬉しい)して大宴会を催すのだが、お決まりの大盤振る舞いをした寅次郎は一座と別れた後、無銭飲食で捕まってしまい桜が身元引き受け人として迎えに来るシーンが撮影された。

北向観音でお参りした後は外湯でゆっくりと…

 日本武尊が東征の際に発見されたという伝説が残り、「七久里の湯」と呼ばれ、平安時代の和歌集にもその名が詠われている別所温泉の開湯は西暦130年ということになる。外湯を中心に栄えた温泉街には、真田幸村の隠し湯と言われている「石湯」と慈覚大使ゆかりの「大師湯」そして木曾義仲ゆかりの「大湯」といった150円で入浴出来る三つの外湯が今も残っている。街の中心に位置する「北向観音」の参道には多くの土産店と飲食店が軒を連ねている。この参道の入口で寅次郎に大空小百合が声をかけるシーンが撮影されている。

 平安時代初期825年に比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創されたとされる「北向観音」は、本堂が北に向いている千手観音を御本尊とする珍しい寺院だ。南向きに建立され未来往生を願う長野市にある「善光寺」のみの参拝では「片参り」になってしまうため、「善光寺」に参拝したならば向き合っている現世の利益をもたらす「北向観音」にも参拝しないと願い事が叶わないとも言われている。温泉地にある寺院らしく手洗い場には温泉が利用されているのも珍しい。敷地内にある上田市指定天然記念物の愛染かつらは縁結びの霊木といわれ多くの若者が訪れている。日が暮れて別所温泉を後にしようと駅に行くと運良く丸窓電車が停まっていた。天気といい電車といい、これも北向観音様のご利益だろうか。たっぷり温泉と自然を堪能した別所温泉…警察に勾留された寅次郎が言う「ここならあと2〜3日世話になりたい」という気持ちがよく分かる。

取材:2009年10月