藤沢周平の名作『蝉しぐれ』のロケ地をめぐる

 黒土三男監督が藤沢周平の原作を映画化した時代劇『蝉しぐれ』は私が最も好きな作品だ。黒土監督は原作で描かれた日本の原風景を完全に映像化するために10年以上の歳月をかけて、自ら日本全国にまたがるロケハンを行ったという。そして最終的に選ばれたのが山形の名山といわれる金峰山、母狩山、月山、鳥海山が一望に見渡せる藤沢周平の出身地である山形の庄内地方だった。2010年の秋に鶴岡市を訪れる機会があったためレンタカーを借りて『蝉しぐれ』のロケ地を巡ってみた

 物語は主人公の牧文四郎が少年時代に尊敬していた父が、ある騒動に巻き込まれ切腹を命ぜられながらも、父を恥じることなく懸命に生きてゆく姿を描いている。前半は文四郎と父の絆を主軸にして、同時に幼なじみのふくとの間で交わされる仄かな恋心が描かれる。父・助左衛門を緒形拳が重厚感溢れる演技が素晴らしい。若き日の文四郎を演じるのは石田卓也、ふくを演じたのは本作が映画デビューとなる佐津川愛美だ。印象的だったのは、父の切腹で文四郎の身を案じたふくが田園の中に立っている祠にお参りするシーン。ここで見せる佐津川の切なさを内に秘めた鳥肌級の素晴らしい演技を披露する。このシーンが撮影されたのが、鶴岡市羽黒町にある実際の畑である。この祠は映画用に作ったものだが撮影が終わった後もそのまま残しており、撮影から数年が経過しているため祠と鳥居の前には鬱蒼と雑草が生い茂っているが、ここに立つと映画のワンシーンが甦ってくる。

 また黒土監督は、「ゼロからセットを組み上げること」にこだわり、牧助左衛門の住居である普請組・組屋敷のセットを東宝スタジオで準備された建材を山形に運び込み、仕上げにかかるという大掛かりな取り組みを敢行。建築物だけではなく、道端に生える雑草の数々まですべてが計算を元に植え込む…という完璧なロケーションセットを目指し作業に取り組んだ。庄内地方の四季がセット美術と融合して本作を名作へと高めた。

鎌倉時代に創建した國見山『玉川寺』で四季の花を賞でる

 この玉川の祠から20分ほどのところにある畑に囲まれた國見山『玉川寺』は、鎌倉時代(1251年)に創建された曹洞宗の寺院である。遠くに出羽三山を眺めながら畑の中をぶらぶら歩く。畑の緑と空の青さ…そして頬に当たる柔らかな風がが心地よい。『玉川寺』は花の寺とも呼ばれ、1450年代に作庭された庭園は、国の文化財名勝に指定されている。中央にある池にそそがれる滝からは自然の山から清水が注がれる。庭園には四季折々に、春の桜、夏のつつじ・九輪草・花菖蒲、秋には萩・秋明菊などの花が咲き誇る。しばらく敷地内を散策してから、本堂で庭園を眺めながら、季節の和菓子が付いたお抹茶をいただく。はぁ、いい気分だ…。観光客が少ない平日、都会の喧噪から離れた田園風景の真ん中にポツンとある風情のあるお寺で、ゆっくりと時間が過ぎる贅沢を満喫出来た。

 

ここに立つと、あの時代劇の名場面が鮮やかに甦る

 そこから20分ほど車を走らせた場所に『庄内映画村 オープンセット(現スタジオセディック庄内オープンセット)』という国内でも類を見ない巨大なオープンセットがある。映画の撮影のために月山山麓に位置する88ヘクタール(26万4千坪/東京ドーム20個分)という広大な敷地に建てられたセットを、そのまま保存して一般公開を始めたのは2009年9月12日のこと。勿論、現在も数々の映画やTVドラマ等の撮影が行われており、見学中に撮影風景に出くわす事もある。オープンセットは大きく「漁村エリア」「農村エリア」「宿場町エリア」「山間集落エリア」という4つのエリアに分けられている。太秦のように街なかにあるわけでは無いので遠くに見える月山山麓も言ってみれば自然を活かした映画のセットである。

 セットで作られた旅籠や武家屋敷だけではなく、「農村エリア」には広大な田んぼが広がっており、夏を過ぎる頃には収穫間近な稲穂が青々と実る。食用ではなくあくまでも撮影のためだけに毎年、田植えを行っているのが凄いではないか。田んぼのあちこちにポツポツと建つ農民の家と四季折々で変わる自然に日本の原風景を感じられて、ここが映画のセットであることを忘れてしまいそうだ。『十三人の刺客』のクライマックスで稲垣吾郎演じる暴君・松平斉韶を待ち伏せした宿場町が「宿場町エリア」で、山の緩斜面に枝分かれする二本の通りには旅籠や飯屋が道の両側に建ち並ぶ。道の真ん中に立つと、クライマックスで、役所広司が壮絶な戦いを繰り広げたシーンが鮮やかに甦る。ここでチャンバラごっこやったら、さぞかし迫力あるだろうなぁ…と思ったが、今どきの子どもたちは知らないか?

古い絹織物工場の建物を活かして生まれ変わった街の映画館

 鶴岡市内に唯一の『鶴岡まちなかキネマ(2020年に閉館)』は、昭和初期に建てられた木造平屋建ての絹織物工場を日本でも珍しい街の資源を有効活用した映画館として生まれ変わった。歴史的にも価値がある昭和建築をそのまま保全活用しており、ロビー天井にある長さ11メートルに及ぶスギの無垢材を使った梁をそのまま残し、外観も当事の雰囲気を損なわないように配慮されている。工場の歴史はあまりに古すぎるため、明確な創業年次が不明で、記録があるのは増築した昭和8年からという。音楽ホールを意識して設計された場内は音の反響に優れており、場内を駆け巡るようなサラウンドが今までにない臨場感を与えてくれる。まさか東北の小さな街の映画館でこんな体験が出来るなんて思わなかった。

取材:2010年10月