バスの車窓から見るサラブレッドの里

 私用で札幌に帰省した時に、まる2日、時間が取れたので日高地方にある小さな港町・浦河町にある映画館『浦河大黒座』を尋ねてみようと思い立った。札幌駅バスターミナルから10:20発の高速バス・ペガサス号に乗る。札幌市街を抜けると、紋別競馬場から新冠・静内を経由して日高地方にある人口1万7千人の小さな漁師町の浦河町まで、片道3時間45分…浦河国道をひたすら競走馬の里を走る。静内を過ぎたあたりから窓の外には牧場が続く。本州では牧場というと小淵沢のような内陸のイメージが強いが、ここは違って海岸沿いに牧場が広がっている。海沿の牧場で草を食む馬の姿で思い出すのは舟木一夫と内藤洋子が共演した松山善三監督作品の“その人は昔”だ。砂浜で往年のヒット曲“白馬のルンナ”を歌いながら馬の世話をする少女のシーンは浦河よりももっと先の百人浜で撮影された

錆び付いたレールが駅の再開を静かに待ち続ける

 苫小牧駅を始発としていた主要路線のJR日高線は、3年の間に続けて起きた高波と台風によって甚大な被害を被ってから運休を続け、2021年4月1日に鵡川駅から終点の様似駅までが廃線となった。今ではバスが唯一の公共交通だ。バスから見える使われなくなった赤く錆びた線路からも殆ど海岸線と変わらない高さにあり、これでは高波が来ると土台ごと持って行かれてしまうことは容易に想像できた。“その人は昔”で東京に夢を託して故郷を出て行く主人公の二人が乗る列車のシーンで日高線を見ることができる。

 終点のバスターミナルのひとつ前…浦河町内でも栄えている大通3丁目にバスが着いたのはお昼を過ぎた14時を少し回ったところ。この時間でここで降りる客は私だけだった。まだお昼ご飯を食べていなかったので港沿いの道を歩いていると、民家を改装して雑貨店とカフェを融合させたような「蓮」というオシャレなお店を見つけた。玄関で靴を脱いで窓際の席を薦められる。置いている調度品や販売している雑貨のセンスがいい。

 そこから10分ほど離れた場所に、使われなくなって久しい浦河駅がある。浦河駅は昭和10年に開業した当時のまま変わらぬ姿で現存する単式ホームの小さな駅だ。国道から線路を挟んだ反対側の駅舎へ開業時からある跨線橋で渡り小さな待合室に入る。壁に掛かる時刻表には列車は3時間に1本、かつては緑の窓口があるような有人駅だったのが分かる。そのままの形で残る駅舎からホームへは自由に出入りできた。錆びたレールの匂いがするホームはきれいに清掃されており、ここが久しく使われていないなんて想像することが出来ない。2021年に廃線が正式に決まったことからいずれは撤去されてしまうのだろうが、出来ることならこのまま保存してもらいたい…とホームに立って思う。

 

馬を祀る浦河神社の境内から北太平洋を臨む

 浦河駅から再び大通3丁目に戻る途中の国道沿いに建つ浦河神社の立派な鳥居が気になった。高台にある境内の階段を上って振り返ると眼下に浦河港が見える。この神社には航海安全の神様が祀ってあるが、手水舎の隣に馬の像が立っている。さすがサラブレッドの産地だけに神社を守るのは狛犬ではないのだろう。ちなみに浦河町には約300近い生産牧場や育成牧場があり、3,000頭以上のサラブレッドが放牧され、毎年数千頭もの競走馬が誕生している。全国の8割もの競走馬を飼育する日高地方でも中心に位置する浦河町は、馬の生産だけではなく現役を引退した馬が静かに余生過ごすことを目的とした「ふれあいファーム」という牧場が車で15分ほどの場所にあるそうだ。次に訪れる際には是非、行ってみたい牧場だ。

港町の小さな映画館は漁師たちの憩いの場所だった

 海洋性気候の影響で夏は涼しく冬は温暖な浦河の海では、狩勝峠から襟裳岬まで南北に走る日高山脈から注がれる清らかな清流のおかげで良質のダシ昆布である日高昆布やサケ・マス、夏から秋にかけてスルメイカが獲れる。日高地方の漁業は歴史が古く、浦河町は開拓前から鮭や昆布を獲る松前藩の船が停泊する港であり、戦後まで漁師たちが身体を休める場所として賑わっていた。ちょうど取材で訪れた5月は、春ウニの最盛期で、ウニ丼祭りというイベントが開催されて盛り上がっていた。港から100mも離れていない場所にある街にひとつの映画館『浦河大黒座』には昔から漁を終えた多くの漁師が訪れていた。昭和30年代は、夜には映画だけじゃなく巡業の踊り子さんによるストリップショーの実演も行っていた。当時はイカ釣り漁が盛んで、映画館近くの浜町には100軒以上もの飲み屋が軒を連ねて賑やかだったそうだ。普段の昼は一般向けの映画を上映しているが、海が時化ると沖に出られない漁師たちが映画館に来るため、天気が崩れると急遽、お色気ものに切り替えていた…というのは港町の映画館ならではのエピソードだ。

漁港の目の前にある食堂でカツと刺身定食

 『浦河大黒座』の取材を終えて、館主の三上さんに、この辺でお昼ご飯を食べられるところを尋ねると、道を挟んだ斜向いにある「きむら屋」という食堂がオススメと教えてくれた。昨晩、バスで降りた時にのぼりが立っているのを見て気になっていた小ぢんまりとした食堂だ。店に入ると小上がりの畳席とカウンター席だけ。店の横は漁港の船着き場…ときたら、さぞかし新鮮な魚介類をメインとした食堂なのかと思ってメニューを見る。丼物はカツメシやスタミナ丼、定食もカツや焼肉を中心としたものばかりで、港の近くというロケーションとは似合わないメニューに気を削がれながらも、店内を見回すと手描きのボードに刺身の盛り合わせがしっかりとあるではないか。しかも全ての定食に刺身がついたメニューがあるので、迷わず人気のチキンカツ刺身定食(1500円)を頼んだ。さすが人気定食だけあってチキンカツも今日揚がったばかりの近海ものの刺身も文句のつけようがなかった。これで1500円は正直安い。すっかりお腹も満足したので帰る時に館主さんのお母様から「こんな遠くまで来ていただいたから…」といただいた今年獲れたばかりの日高昆布(高級品だ!)をリュックに詰めて、暖かくなってきた春の浦河を後にした。

取材:2018年5月